それぞれの人生をナラティブに(緩和ケア)(後)(2016/04/26)
三人目:Kさん
私が長い間、パーキンソン病で診ていた患者さんだったが、66歳の時にスキルスであることがわかり、1年後に67歳で亡くなられた。
Kさんはパーキンソン病のコントロールもよく、いつもご主人に伴われて月に一回外来を受診されていた。少し痩せられて歩くのも楽になったと話されていたが、突然、食べたものが胃につかえ、げっぷもよくでるという。そこで消化器内科の先生に内視鏡をしてもらったところ、進行したスキルスであることがわかった。いかんともしがたく、全摘は無理だという判断され、腸ろうを造ってもらった。
消化器内科の先生から、「進行がんで、手術はできないと思われます」との報告を受けたとき、正直いって戸惑ってしまった。月に一回とはいえ、規則正しく毎月受診されて来られた患者さんで、「どうしてもっと早くわからなかったのだろう」との後悔の念がしばらくの間、頭から離れなかった。そのような思いは、患者・家族には私以上に強かったはずであるが、Kさんは顔色一つ変えずに少しも取り乱すことなく、「自分が検査しなかったのが悪かったのです。ずっと大きな病気をしたこともなく、元気で好きなものも何でも食べてきましたので、もう何も欲しくありません。パーキンソン病で、お父さんにはずっと迷惑をかけてきましたので、お父さんより早く死ねたらといつも思ってきました。このまま死ねるのでしたら、本当に幸せです。なんにも思い残すことはありませんが、お父さんが不自由するのじゃないかと、それだけがちょっと心残りです」と淡々と話されたのである。
在宅療養に移られてからも、いつも穏やかな表情で微笑みを絶やさなかった。衰弱が進んだので、春ごろに緩和ケア棟に入院された。夫妻の近所に住み、ボランティアとして病院に来られていた近所の女性は、「あんなになりたいものだと、評判の夫妻なんですよ。特にだんなさんは昔から優しい人でしたが、奥さんが病気になられてからは、みんながうらやましく思うほどです」と言っていた。
実際に入院中の行き届いた介護にいつも頭の下がる思いがした。
ある朝、Kさんの部屋を訪ねると、ベッドに横たわったまま、しっかり目を見開いて私の顔をじっと見つめている。「よくここまで頑張ったね。思いやりのある家族に囲まれて幸せな一生で・・・」と話しかけると、うっすらと涙を浮かべているようにみえた。柔らかな秋の日射しが、大きな窓から差し込んでくる。窓の外には干潟が広がり、錦江湾の向こうには雄大な桜島が眺められる。
ご主人が吸いのみでさゆをあげていた。「まだ飲む、もういい?」などと優しい言葉をかけながら、少しずつ口の中に注いでいる。Kさんは小さな声で「ありがとう」と言われた。しばらくすると、御主人は「疲れた?」と聞きながら、ベッドを静かに倒して妻の頭の所にタオルを何枚も重ねる。その後、温かいタオルで両手を指先から丁寧にふいていく。「介護は習わなくても、心があればできるもんなんだなあ」とつぶやくと、「親を二人とも田舎から連れてきて、面倒をみましたから」と答える。
このような穏やかな日がいつまで続くようにと願いながら部屋を後にした。その数日後に、この世に別れを告げられた。
「がんばらない」で有名な鎌田実さんは、「がんに負けない7ヶ条」を挙げている。①敵を知る、②がんばらない、③あきらめない、④なげださない、⑤笑う、⑥つながる、⑦丁寧な生活。
Kさんの場合、この7つの項目を全て満たしているが、特にがんばらないと笑うは突出しているように思われた。
私が長い間、パーキンソン病で診ていた患者さんだったが、66歳の時にスキルスであることがわかり、1年後に67歳で亡くなられた。
Kさんはパーキンソン病のコントロールもよく、いつもご主人に伴われて月に一回外来を受診されていた。少し痩せられて歩くのも楽になったと話されていたが、突然、食べたものが胃につかえ、げっぷもよくでるという。そこで消化器内科の先生に内視鏡をしてもらったところ、進行したスキルスであることがわかった。いかんともしがたく、全摘は無理だという判断され、腸ろうを造ってもらった。
消化器内科の先生から、「進行がんで、手術はできないと思われます」との報告を受けたとき、正直いって戸惑ってしまった。月に一回とはいえ、規則正しく毎月受診されて来られた患者さんで、「どうしてもっと早くわからなかったのだろう」との後悔の念がしばらくの間、頭から離れなかった。そのような思いは、患者・家族には私以上に強かったはずであるが、Kさんは顔色一つ変えずに少しも取り乱すことなく、「自分が検査しなかったのが悪かったのです。ずっと大きな病気をしたこともなく、元気で好きなものも何でも食べてきましたので、もう何も欲しくありません。パーキンソン病で、お父さんにはずっと迷惑をかけてきましたので、お父さんより早く死ねたらといつも思ってきました。このまま死ねるのでしたら、本当に幸せです。なんにも思い残すことはありませんが、お父さんが不自由するのじゃないかと、それだけがちょっと心残りです」と淡々と話されたのである。
在宅療養に移られてからも、いつも穏やかな表情で微笑みを絶やさなかった。衰弱が進んだので、春ごろに緩和ケア棟に入院された。夫妻の近所に住み、ボランティアとして病院に来られていた近所の女性は、「あんなになりたいものだと、評判の夫妻なんですよ。特にだんなさんは昔から優しい人でしたが、奥さんが病気になられてからは、みんながうらやましく思うほどです」と言っていた。
実際に入院中の行き届いた介護にいつも頭の下がる思いがした。
ある朝、Kさんの部屋を訪ねると、ベッドに横たわったまま、しっかり目を見開いて私の顔をじっと見つめている。「よくここまで頑張ったね。思いやりのある家族に囲まれて幸せな一生で・・・」と話しかけると、うっすらと涙を浮かべているようにみえた。柔らかな秋の日射しが、大きな窓から差し込んでくる。窓の外には干潟が広がり、錦江湾の向こうには雄大な桜島が眺められる。
ご主人が吸いのみでさゆをあげていた。「まだ飲む、もういい?」などと優しい言葉をかけながら、少しずつ口の中に注いでいる。Kさんは小さな声で「ありがとう」と言われた。しばらくすると、御主人は「疲れた?」と聞きながら、ベッドを静かに倒して妻の頭の所にタオルを何枚も重ねる。その後、温かいタオルで両手を指先から丁寧にふいていく。「介護は習わなくても、心があればできるもんなんだなあ」とつぶやくと、「親を二人とも田舎から連れてきて、面倒をみましたから」と答える。
このような穏やかな日がいつまで続くようにと願いながら部屋を後にした。その数日後に、この世に別れを告げられた。
「がんばらない」で有名な鎌田実さんは、「がんに負けない7ヶ条」を挙げている。①敵を知る、②がんばらない、③あきらめない、④なげださない、⑤笑う、⑥つながる、⑦丁寧な生活。
Kさんの場合、この7つの項目を全て満たしているが、特にがんばらないと笑うは突出しているように思われた。
