「アーア」というため息(2016/04/21)
朝起きていつものようにマンションの5階から1階の受け取りボックスに新聞を取りに行き、帰りしな思わず「アーア」というため息が出てきた。一面に熊本地震の惨状を示す写真がいくつも掲載されていたからだろうか。この「アーア」というため息をつきながら、五木寛之がCDで語っていたことが思い出された。一般的にはこのため息はマイナスイメージとしてとられがちだが、五木の場合には必ずしもそうではない。
先日、「五木寛之 語りおろし全集12巻~人はみな大河の一滴~」を衝動買いして、車の中で聴いている。NHK「団塊スタイル」(Eテレ、2016年1月29日)での五木の語りが自然で面白く感じたからである。
第一巻「私を支えてくれた言葉」のなかに、「父親のひとりごと」と「ため息とともに生きる」いう章がある。
五木の父親は56歳で亡くなっているが、戦争の時代を生きてきた人で、なんとなく私の両親とも重なって見えてくる。九州山地の小さな山村の出身で、師範学校を出て韓国に渡る。刻苦勉励を地で行くような生活で、毎晩夕食の後にしばらく仮眠し、12時頃起きて朝方まで勉強するという生活を続けていた。その仮眠の時にひっくり返って、「アーア」というため息の後に奇妙な言葉を唱えて寝込んでしまうのが父の思い出だという。
五木はこの「ため息」が何だったのかと考え続けていた。
そしてため息は「人生に対してうしろむきの弱々しい行為であるかのような感じもしますけれども、ひょっとするとそのため息によって父親は、癒されている部分があったのではないかと考えることがしばしばあります。人間がどんなときにため息をつくのかといえば、言葉にできないような重いものを背中に感じているときではないでしょうか。・・・じつは人間が力強く生きていくうえで非常に大事なものではないか、と最近私は考えるようになってきたのです」と語っている。
「ため息をつくというのも人間が生きていくうえでの、ひとつの知恵であると。それを無視したり馬鹿にするような精神的風土の中からは、決して人間が生きやすい世の中は生まれてこないのではなかろうか、と考えたりします」
五木はこのため息を、韓国語の「恨(はん)」やロシア語の「トスカ(ふさぐ)」、そして日本語の特に明治時代によく使われた「暗愁」という言葉と重ねあわせている。
私自身も本来のマイナス思考を封印して、できるだけポジティブな考え方で生きていこうと考えてきた。五木の面白さは、プラス思考が喧伝される世の中で、マイナス思考に生きる意味を見出していることである。
「暗いもの、悲しげなもの、ため息、こういったものが明治という時代をよりいっそう魅力的に見せ、その時代の人びとを深く、彫刻的に感じさせるのだといえるでしょう」とこの章の最後で結んでいる。
平成のこの時代、政治家を含め人の言葉がかんな屑のように薄っぺらになっていないだろうか。
先日、「五木寛之 語りおろし全集12巻~人はみな大河の一滴~」を衝動買いして、車の中で聴いている。NHK「団塊スタイル」(Eテレ、2016年1月29日)での五木の語りが自然で面白く感じたからである。
第一巻「私を支えてくれた言葉」のなかに、「父親のひとりごと」と「ため息とともに生きる」いう章がある。
五木の父親は56歳で亡くなっているが、戦争の時代を生きてきた人で、なんとなく私の両親とも重なって見えてくる。九州山地の小さな山村の出身で、師範学校を出て韓国に渡る。刻苦勉励を地で行くような生活で、毎晩夕食の後にしばらく仮眠し、12時頃起きて朝方まで勉強するという生活を続けていた。その仮眠の時にひっくり返って、「アーア」というため息の後に奇妙な言葉を唱えて寝込んでしまうのが父の思い出だという。
五木はこの「ため息」が何だったのかと考え続けていた。
そしてため息は「人生に対してうしろむきの弱々しい行為であるかのような感じもしますけれども、ひょっとするとそのため息によって父親は、癒されている部分があったのではないかと考えることがしばしばあります。人間がどんなときにため息をつくのかといえば、言葉にできないような重いものを背中に感じているときではないでしょうか。・・・じつは人間が力強く生きていくうえで非常に大事なものではないか、と最近私は考えるようになってきたのです」と語っている。
「ため息をつくというのも人間が生きていくうえでの、ひとつの知恵であると。それを無視したり馬鹿にするような精神的風土の中からは、決して人間が生きやすい世の中は生まれてこないのではなかろうか、と考えたりします」
五木はこのため息を、韓国語の「恨(はん)」やロシア語の「トスカ(ふさぐ)」、そして日本語の特に明治時代によく使われた「暗愁」という言葉と重ねあわせている。
私自身も本来のマイナス思考を封印して、できるだけポジティブな考え方で生きていこうと考えてきた。五木の面白さは、プラス思考が喧伝される世の中で、マイナス思考に生きる意味を見出していることである。
「暗いもの、悲しげなもの、ため息、こういったものが明治という時代をよりいっそう魅力的に見せ、その時代の人びとを深く、彫刻的に感じさせるのだといえるでしょう」とこの章の最後で結んでいる。
平成のこの時代、政治家を含め人の言葉がかんな屑のように薄っぺらになっていないだろうか。
