Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

母の思い(後)(2016/05/26) 

(2001年9月20日、Hさんからの手紙) 賢一はあっという間に逝ってしまった、そんな感じです。思い起こせば先生と初めてお会いしてから17年6ヶ月、折に触れて私たち親子を励ましてくださり、また最後の在宅門との関わりも先生のご配慮であったこと、心より感謝しております。「天寿」という言葉で表せるのかわかりませんが、賢一にとってはわずか20年の天寿だったとはいえ、幸せに満ちた20年だったと思います。そしてまた賢一は人の思いやりを知り、人にやさしさを教え、生きることの素晴らしさを伝えてくれたように思います。そして何よりも私に大切な心を教えてくれました。
 私は賢一の母親で本当によかった、幸せだった。先生、賢一の最後は入浴中で私の腕の中でした。「母さん」、最後の言葉はいつもより大きな声でした。賢一にとっても、私にとっても「在宅」の極みだったと思います。・・・ヘルパーを始めて10年、これからの私の人生、先生との出会いを心の糧に、一杯頂いた心を今度は仕事を通じ、他人様に返していけたらと思います。・・・
(2007年、私が南日本新聞の「論点」で、山田君の描いた鉛筆画を紹介したときのメール)。
朝、新聞を開いた途端、先生のお顔が・・本当によく特徴を・・・写真の中の先生より私の中にある先生のお顔でした。5月15日、賢一が亡くなり7回目の誕生日を迎えました。命日より、生まれた日の方が、心に残っているのは、母親だからでしょうか?誕生日の前日、一瞬゛母さん゛という声が聞こえたような・・これも、私にとって一番大切な存在だったからでしょうか?夢に初めて出て来た時は、息を吹き返した姿でした。2回目が何故か今度の゛母さん゛という声だけでした。(20歳の顔のまんまで、賢一は歳をとらないで、羨ましいものです)
 先生、もう大丈夫です。賢一に深く関わった訪問看護師さんと会っても涙が出なくなりました。7年もかかりました。・・事務所移転しました!というか、賢一の4年間暮らした家に戻って来ました。これから、私の仕事の集大成として、有償ボランティア活動を中心として、障害者の支援を必要とされる方々を、同じ思いでいる仲間と少人数でいい仕事をしたいと思っています。私も現場に出るのが一番性にあっているみたいで・・と言っても今年52歳ですので、゛やれるまで゛頑張ってみます・・もうすぐ紫陽花の季節、気持ちの持ちようを変化させながら頑張りまーす!」
 「天寿を全うする」という言葉がある。一般的には「天から授かった寿命を十分に長生きして死ぬ」という意味で使われることが多いが、私は命の長さは関係のないように感じている。
1996年に16歳の若さで亡くなった筋ジストロフィーの少年がいた。勤勉で賢い少年で、亡くなる数日前まで英検3級の勉強をしていた。「自分のしたいことはしたいし、そのために精一杯の努力をする」と言いつつ実践してきたが、夢は叶えられなかった。ただ私たちスタッフの胸の中に、代えがたい大きな贈り物を残してくれた。健康とは体が自由に動くことだけではないのかしれないと。
またHさんが表現された「賢一にとってはわずか20年の天寿だったとはいえ、幸せに満ちた20年だったと思います」は、天寿という言葉の本質をよく表した言葉のように感じている。天寿というのは単なる命の長さではなく、その質であり、また死者へのご家族の思いの凝縮であると思うのである。