母の思い(前)(2016/05/25)
母親の我が子への思いは、尽きることがないものだと今更ながら感じることである。
先日、南風病院訪問看護ステーション「みなみ風」の田代さんが、Hさんから頼まれた赤飯とスパゲティを私の部屋まで届けてくれた。早速お礼のメールをしたら、その返事を頂いた。そこで今までHさんから頂いたお手紙やメールを整理してみた。
Hさんとは南九州病院時代から、そしてまた南風病院に異動してからも不思議な「縁」が続いている。南風病院「みなみ風」の運営するおとなりさん(地域に密着した一軒家ルームシャアリングタイプ)の運営にも参加していただいている。これも全て、Hさんの息子さんの故賢一君を介してである。
(2016年5月13日のメール)
5月15日は私にとって一番心に留め置く日のような気がします・・・
賢一が最後までお世話になった南風病院の「みなみ風」の本白水さんと会うと、今でもどきっとする事があります・・・
何年経っても、これが母親の思い、二十歳という年齢からの思いなのかもしれません。自分でもわかりませんが、おそらく私の人生が終わる瞬間まで賢一は、心に生き続けるのだと思います。
赤飯とミートスパゲッティが大好きでした。先生に食べて頂けて賢一がニヤッと現在の野球の結果を思いつつ・・・亡くなり15回目の誕生日でした。生きた年数を後5年もすれば・・・
今日は頂いて下さり、こちらこそ感謝です。
さて私と賢一君の出会いから、30年以上が経つことになる。Hさんの長男の賢一君が3、4歳の頃だったかと思うが、筋ジストロフィーの治療試験(E-64)が始まり、2年に亘って月に一回、鹿児島から加治木の南九州病院まで一度も欠かすことなく通院してもらった。残念ながらこの治療薬はあまり効果がないことが判明し、薬としては認可されなかった。当時、賢一君は大の巨人ファンで私は阪神に入れ込んでいたときだったので、いつも診察しながら巨人・阪神のバトルを楽しんだものである。特に長嶋監督が好きで、賢一君が亡くなられた平成13年に、監督を引退したことも不思議な縁だと思ったものである。
その後、賢一君は外来通院を経て在宅医療(園田先生、そして有里先生が引き継いでくれた)と移行したが、平成13年に20歳の若さで自宅で亡くなられた。
まだ介護保険制度が始まる前で、「賢一君のためにも、ヘルパーの資格を取られたら」と勧めたところ、早速南九州病院のヘルパー研修に参加されて資格を取得された。その後、自ら介護事業所(ケアアシスト紫陽花)まで立ち上げられ、現在に至っている。
先日、南風病院訪問看護ステーション「みなみ風」の田代さんが、Hさんから頼まれた赤飯とスパゲティを私の部屋まで届けてくれた。早速お礼のメールをしたら、その返事を頂いた。そこで今までHさんから頂いたお手紙やメールを整理してみた。
Hさんとは南九州病院時代から、そしてまた南風病院に異動してからも不思議な「縁」が続いている。南風病院「みなみ風」の運営するおとなりさん(地域に密着した一軒家ルームシャアリングタイプ)の運営にも参加していただいている。これも全て、Hさんの息子さんの故賢一君を介してである。
(2016年5月13日のメール)
5月15日は私にとって一番心に留め置く日のような気がします・・・
賢一が最後までお世話になった南風病院の「みなみ風」の本白水さんと会うと、今でもどきっとする事があります・・・
何年経っても、これが母親の思い、二十歳という年齢からの思いなのかもしれません。自分でもわかりませんが、おそらく私の人生が終わる瞬間まで賢一は、心に生き続けるのだと思います。
赤飯とミートスパゲッティが大好きでした。先生に食べて頂けて賢一がニヤッと現在の野球の結果を思いつつ・・・亡くなり15回目の誕生日でした。生きた年数を後5年もすれば・・・
今日は頂いて下さり、こちらこそ感謝です。
さて私と賢一君の出会いから、30年以上が経つことになる。Hさんの長男の賢一君が3、4歳の頃だったかと思うが、筋ジストロフィーの治療試験(E-64)が始まり、2年に亘って月に一回、鹿児島から加治木の南九州病院まで一度も欠かすことなく通院してもらった。残念ながらこの治療薬はあまり効果がないことが判明し、薬としては認可されなかった。当時、賢一君は大の巨人ファンで私は阪神に入れ込んでいたときだったので、いつも診察しながら巨人・阪神のバトルを楽しんだものである。特に長嶋監督が好きで、賢一君が亡くなられた平成13年に、監督を引退したことも不思議な縁だと思ったものである。
その後、賢一君は外来通院を経て在宅医療(園田先生、そして有里先生が引き継いでくれた)と移行したが、平成13年に20歳の若さで自宅で亡くなられた。
まだ介護保険制度が始まる前で、「賢一君のためにも、ヘルパーの資格を取られたら」と勧めたところ、早速南九州病院のヘルパー研修に参加されて資格を取得された。その後、自ら介護事業所(ケアアシスト紫陽花)まで立ち上げられ、現在に至っている。
