西之表市重症難病医療ネットワーク協議会(後)(2016/06/16)
私の講演の後、木村さんの「コミュニケーション機器」に関する講演と実物の展示と説明があり、休憩をはさんで事例発表として「ALS患者の生活環境調整について」というテーマで、種子島医療センターのソーシャルワーカーの加世田さんの発表があった。その後、9グループに分けて話し合いが行われた。各グループで代表者が概要をまとめて発表された。最後に、私がまとめることとなった。
今回の事例は、偶然にも私が2年前に訪問した患者さんで、「どうにかしてあげたい」と思わせる家族だった。今回も訪問したいと考えていたが、胃瘻造設のために鹿児島大学病院に入院中とのことである。
(2014年9月2日の院内ランの一部を再録する)
もう一人は、43歳の男性である。西之表の中心部から車で10分ほど走った郊外に、妻の両親や義姉夫婦と3世帯が同じ敷地にモダンな家を建てていた。帰るとき「まだたくさんローンも残っているのですよ」と、奥さんが苦笑しながら話されていた。
家には入って目につくのは、子どもたちと撮った写真が壁に所狭しと貼られている。この男性は元気な頃は少年野球チームのコーチもしており、長男も現在種子島中学の軟式野球部の2年生で活躍中とのことである。本人は椅子に腰掛けながら、奥さん共々いろいろなお話を伺ううちに、延命のためにできることはしてあげたくなる夫婦である。中学2年の息子を頭に、5年生の女の子、4年生の息子がいる。せめて子どもたちが成人になるまで、そして娘さんの結婚式までは生きていて欲しいと思ってしまう。
もともとは鹿屋市の生まれで、高校卒業後2年ほど鹿児島市のガソリンスタンドで働いていたが、その後種子島で自動車整備の仕事をしていた。現在の嫁さんと一緒になったことで、種子島で暮らすようになった。
元来、元気な方だったが、40歳を過ぎてしばらくした頃から、指に力が入らなくなった。大学病院にも入院して検査の結果、ALSと診断された。奥さんは当時の心境を「何がどうなっているのか分からない気持ちで、信じることができなかった。落ち込んでしまったけど、こんなことではいけないと思い直して、どうにか前向きに考えるようになりました。職場の支援やまた姉が田上病院の看護師として働いており、大きな力となっています」と、終始明るく朗らかに振る舞ってくれた。
今の楽しみは子どもたちの成長で、特に長男の野球である。8月末には離島選手権が五島列島で開催されるので、家族みんなで応援に行きたいと嬉しそうに話してくれた。言葉はもつれるが、まだ十分に聞き取れる。「主人は最近、外に出たがらないのですよ。今まで子どもたちに野球を教えていたのに急にできなくなって・・・。外に出たら、みんなが好奇の目で寄ってきたりするものですから」と奥さんが言われる。
「確かに田舎ではこの病気についての知識のある人は少ないので、そのようなこともあるのは致し方ない。でも勇気を持って堂々と外に出ることで、病気への理解も深まるし、そのうちに車いすを押してくれる人も出てくるでしょう。周りの目は自分から変えていくことができると思います」と話すことだった。
(最後の私のまとめの概要)
「出会いは一瞬、つきあいは一生」という言葉があります。人と人との関係はまさに偶然に始まりますが、その後の展開はそれぞれであり、一生続くこともあります。
実は今日の事例は、私が2年前に訪問した時の家族でした。個人情報ということでMさんということになっていますが、真下さんという方だったかと思います。実名にした方が関係が深まる場合もありますので、あえてそのように呼ばせてください。
この時に私が感じた率直な感想は、「できることならどげんかしてあげたい」ということでした。最初の講演の時にALSの北吉さんが呼吸器を付けるかどうか迷った時に、「どうしても、二人の娘の結婚式には立ち会いたい、そしてもう一度阪神タイガースの優勝の美酒を味わいたい」ということでした。約10年が経ち、前者は見事に実現されましたが、後者は幸か不幸か今年も実現できそうにありまっせんね。 真下さんの一番下のお子さんはまだ10歳です。きっと成人式までは生きていたいと思っているのではないでしょうか。みなさんの小さなサポートの澄み重ねがあれば、きっと実現できることだと思います。私の方からも、今日ここに出席されている方々のサポートを真下さんのご家族に注いでいただけますようにお願いしたと思います。
今回の事例は、偶然にも私が2年前に訪問した患者さんで、「どうにかしてあげたい」と思わせる家族だった。今回も訪問したいと考えていたが、胃瘻造設のために鹿児島大学病院に入院中とのことである。
(2014年9月2日の院内ランの一部を再録する)
もう一人は、43歳の男性である。西之表の中心部から車で10分ほど走った郊外に、妻の両親や義姉夫婦と3世帯が同じ敷地にモダンな家を建てていた。帰るとき「まだたくさんローンも残っているのですよ」と、奥さんが苦笑しながら話されていた。
家には入って目につくのは、子どもたちと撮った写真が壁に所狭しと貼られている。この男性は元気な頃は少年野球チームのコーチもしており、長男も現在種子島中学の軟式野球部の2年生で活躍中とのことである。本人は椅子に腰掛けながら、奥さん共々いろいろなお話を伺ううちに、延命のためにできることはしてあげたくなる夫婦である。中学2年の息子を頭に、5年生の女の子、4年生の息子がいる。せめて子どもたちが成人になるまで、そして娘さんの結婚式までは生きていて欲しいと思ってしまう。
もともとは鹿屋市の生まれで、高校卒業後2年ほど鹿児島市のガソリンスタンドで働いていたが、その後種子島で自動車整備の仕事をしていた。現在の嫁さんと一緒になったことで、種子島で暮らすようになった。
元来、元気な方だったが、40歳を過ぎてしばらくした頃から、指に力が入らなくなった。大学病院にも入院して検査の結果、ALSと診断された。奥さんは当時の心境を「何がどうなっているのか分からない気持ちで、信じることができなかった。落ち込んでしまったけど、こんなことではいけないと思い直して、どうにか前向きに考えるようになりました。職場の支援やまた姉が田上病院の看護師として働いており、大きな力となっています」と、終始明るく朗らかに振る舞ってくれた。
今の楽しみは子どもたちの成長で、特に長男の野球である。8月末には離島選手権が五島列島で開催されるので、家族みんなで応援に行きたいと嬉しそうに話してくれた。言葉はもつれるが、まだ十分に聞き取れる。「主人は最近、外に出たがらないのですよ。今まで子どもたちに野球を教えていたのに急にできなくなって・・・。外に出たら、みんなが好奇の目で寄ってきたりするものですから」と奥さんが言われる。
「確かに田舎ではこの病気についての知識のある人は少ないので、そのようなこともあるのは致し方ない。でも勇気を持って堂々と外に出ることで、病気への理解も深まるし、そのうちに車いすを押してくれる人も出てくるでしょう。周りの目は自分から変えていくことができると思います」と話すことだった。
(最後の私のまとめの概要)
「出会いは一瞬、つきあいは一生」という言葉があります。人と人との関係はまさに偶然に始まりますが、その後の展開はそれぞれであり、一生続くこともあります。
実は今日の事例は、私が2年前に訪問した時の家族でした。個人情報ということでMさんということになっていますが、真下さんという方だったかと思います。実名にした方が関係が深まる場合もありますので、あえてそのように呼ばせてください。
この時に私が感じた率直な感想は、「できることならどげんかしてあげたい」ということでした。最初の講演の時にALSの北吉さんが呼吸器を付けるかどうか迷った時に、「どうしても、二人の娘の結婚式には立ち会いたい、そしてもう一度阪神タイガースの優勝の美酒を味わいたい」ということでした。約10年が経ち、前者は見事に実現されましたが、後者は幸か不幸か今年も実現できそうにありまっせんね。 真下さんの一番下のお子さんはまだ10歳です。きっと成人式までは生きていたいと思っているのではないでしょうか。みなさんの小さなサポートの澄み重ねがあれば、きっと実現できることだと思います。私の方からも、今日ここに出席されている方々のサポートを真下さんのご家族に注いでいただけますようにお願いしたと思います。
