Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

宇尾野先生を偲ぶ会(前)(2016/06/09) 

宇尾野公義先生は2015年6月2日に92歳で亡くなられた。家族葬が執り行われたという知らせを受けたのは、亡くなられてからしばらく経ってからのことだった。昨年の8月に母が亡くなったときに「家族葬」にすんなり賛成できたのは、「あの宇尾野先生も家族葬に」という思いが根底にあったからではないだろうか。
昨年の秋頃だっただろうか、重症筋無力症の友の会などが中心になって「偲ぶ会」を開催したいので、私にも是非出席をして欲しいとの依頼を受けた。私が宇尾野先生から直接の薫陶を受けたのは昭和49年からの2年弱に過ぎないが、その後も何かと目をかけて頂いたように思う。恩師の井形先生が東京大学時代に宇尾野先生と同じ研究室であり、私は孫弟子にあたるということもあったのだろうか。
宇尾野先生の業績等に関しては、日本自律神経学会の理事長(宇尾野先生も長年、この学会の理事長を務めておられた)の黒岩義之先生が詳しく書かれているので少し抜粋する。
先生は大正12年に新潟県で生まれている。学習院から陸軍士官学校卒で陸軍大尉、高射砲連隊に属し終戦。東大医学部に入学、沖中内科に入局している。昭和46年に美濃部知事の要請もあり都立府中病院に副院長として赴任、私は49年に鹿児島大学第三内科から国内留学として派遣されて、ご縁ができたのである。
当時府中病院の神経内科で働いていた医師の中には、その後何人も大学教授になった人もいた。ところが学会などでお会いするとにこやかな表情で、「福永君はよく頑張ったね」という言葉をかけてくれていた。想像するに宇尾野先生ご自身が、あの東京大学沖中門下で秀逸の存在でそのキャリアも輝かしいものがあったが大学教授とは縁がなく、最後は国立静岡病院院長でご退官されたというご略歴とも関係しているのかも知れないと秘かに思うことである。
6月4日、鹿児島はやや肌寒く、雨が降っていた。朝8時10分発のANA620便で鹿児島空港を発ち羽田空港に向かった。京急線から品川駅、そして新幹線ひかりで三島駅に、東海道線に乗り換えて沼津駅に着いたのは予定時刻の11時56分だった。会場のプラサ ヴェルデは沼津駅に隣接している。偲ぶ会は13時の開始予定だったので、控室で溝口先生や佐橋先生、難病連の伊藤さんなどと昼食の弁当を食べながら、宇尾の先生の思い出など語った。
私の中の宇尾野先生は、外からも内からも紳士という印象で、時には茶目っ気な部分も持ち合わせておられたが、「強い人」と思っていた。ただ歳をとられてからは佐橋先生にも溝口先生にも夜間に長時間の電話をされてきたと言うことである。奥様に先立たれて、「嫁の世話にはならない」と強がっておられたが、案外寂しかったのかも知れない。
偲ぶ会はプラサ ヴェルデの3階で開催された。全国から重症筋無力症の役員などが多数参加されていたが、その中に都立府中病院時代に佐橋先生の患者だった町井さんもおられてびっくりした。当時はほとんど寝たきりの状態だったが、見事に元気になられていた。