五代友厚(前)(2016/06/07)
5月31日開催の城山観光ホテル主催【明治維新150年カウントダウン記念イベント】の一つ、「大阪の恩人となった薩摩藩士五代友厚」の講演と宴会の案内状をもらっていた。特別講演の講師は徳永幸彦さんである。
「時も時だし、お断りしようかな」と思っていたら、ホテルの森山さんから電話をもらった。「徳永さんに、どなたか招待されたい方がおられたらと尋ねましたら、先生の名前が挙がりましたのでぜひご出席ください」ということ。
実は徳永さんとのご縁は平成19年に遡る。
当時私は南九州病院の院長だったが、ある日、事務の東さん宛に、大阪府立病院機構本部事務局から拙著「早起き院長の・・・」購入の申し込みが飛び込んできた。送付先は機構副理事長の徳永幸彦となっている。もちろん私には面識のない名前であるが、一応サイン入りで自著を送付したら、毛筆で書かれた感謝の手紙とともに、一冊の本が送られてきた。タイトルは「松下電器一筋に~私が歩んだ道~」となっており、徳永さんが自費出版された、松下電器に入社後の半生紀伝であった。
世の中はいろんなところで縁が生まれる。この機構は大阪府が国立病院機構に習って組織したもので、五つの府立病院を束ねるもので、理事長は国立病院機構大阪病院名誉院長の井上通敏先生であった。私が平成12年ごろに井上先生が国立病院院長協議会の会長をされたときの理事の一人であり、また同じころに厚生省のリスクマネジメントスタンダードマニュアル作成委員会の委員長を仰せつかったときの委員のお一人が井上先生(当時国立大阪病院長)だった。それにしてもこの時の委員のメンバーを見ると、今でも片腹痛い思いがする。国立循環器病センター院長でその後総長の北村先生、前の国立がんセンター中央病院長の野村先生、国立千葉病院長の武者先生、上智大学法学部教授の町野先生、医事評論家の仰天良雄さん、現在九州大学の准教授の鮎澤純子さんなど錚々たる方々(当時の肩書)で、「無名」の人は私くらいだったのである。
さてこの徳永さん、昭和12年生まれの78歳、まさに日本の高度経済成長期を松下電器と共に歩まれた方である。農業もされながら樋脇高校を卒業され、九州大学法学部卒業後、昭和35年に松下電器に入社(第一部に詳述)されている。人事本部の次長や教育訓練センター所長など歴任され、現在は済生会評議員、近畿鹿児島県人会連合会 会長などと活躍されている。大学入学が昭和31年であり、当時の状況を考えると新設の地方高校から九州大学に入学することがいかに大変な出来事だったかは、もらった本にも詳しく書かれていたが、今回の講演でも触れられていた。現在の状況からは想像できないことである。
当日の講演は18時から城山観光ホテルのエメラルドホールで開催された。私は最前列の関係者席に案内され、講演をまぢかに聞くことができた。まず伊牟田前霧島観光ホテル社長の、今回のイベントの趣旨と講師紹介のあと、徳永さんが登壇された。
講演のタイトルは「五代友厚について」というもので、①五代友厚との出会い、②どんな人物か、③なぜ明治政府の高官を辞して民に下ったのか、④今、没後130年にして評価されているのか、⑤何を学び、どう生かすか、というもので、あらかじめ配布された資料に沿って講演された。
まず「今夜はこんなにたくさんの方々に集まっていただいて、心臓の方がパクパクしております。でもここで倒れましても、すぐそこに南風病院の院長先生がおられますので安心です・・・」というイントロに私はびっくりした。
「時も時だし、お断りしようかな」と思っていたら、ホテルの森山さんから電話をもらった。「徳永さんに、どなたか招待されたい方がおられたらと尋ねましたら、先生の名前が挙がりましたのでぜひご出席ください」ということ。
実は徳永さんとのご縁は平成19年に遡る。
当時私は南九州病院の院長だったが、ある日、事務の東さん宛に、大阪府立病院機構本部事務局から拙著「早起き院長の・・・」購入の申し込みが飛び込んできた。送付先は機構副理事長の徳永幸彦となっている。もちろん私には面識のない名前であるが、一応サイン入りで自著を送付したら、毛筆で書かれた感謝の手紙とともに、一冊の本が送られてきた。タイトルは「松下電器一筋に~私が歩んだ道~」となっており、徳永さんが自費出版された、松下電器に入社後の半生紀伝であった。
世の中はいろんなところで縁が生まれる。この機構は大阪府が国立病院機構に習って組織したもので、五つの府立病院を束ねるもので、理事長は国立病院機構大阪病院名誉院長の井上通敏先生であった。私が平成12年ごろに井上先生が国立病院院長協議会の会長をされたときの理事の一人であり、また同じころに厚生省のリスクマネジメントスタンダードマニュアル作成委員会の委員長を仰せつかったときの委員のお一人が井上先生(当時国立大阪病院長)だった。それにしてもこの時の委員のメンバーを見ると、今でも片腹痛い思いがする。国立循環器病センター院長でその後総長の北村先生、前の国立がんセンター中央病院長の野村先生、国立千葉病院長の武者先生、上智大学法学部教授の町野先生、医事評論家の仰天良雄さん、現在九州大学の准教授の鮎澤純子さんなど錚々たる方々(当時の肩書)で、「無名」の人は私くらいだったのである。
さてこの徳永さん、昭和12年生まれの78歳、まさに日本の高度経済成長期を松下電器と共に歩まれた方である。農業もされながら樋脇高校を卒業され、九州大学法学部卒業後、昭和35年に松下電器に入社(第一部に詳述)されている。人事本部の次長や教育訓練センター所長など歴任され、現在は済生会評議員、近畿鹿児島県人会連合会 会長などと活躍されている。大学入学が昭和31年であり、当時の状況を考えると新設の地方高校から九州大学に入学することがいかに大変な出来事だったかは、もらった本にも詳しく書かれていたが、今回の講演でも触れられていた。現在の状況からは想像できないことである。
当日の講演は18時から城山観光ホテルのエメラルドホールで開催された。私は最前列の関係者席に案内され、講演をまぢかに聞くことができた。まず伊牟田前霧島観光ホテル社長の、今回のイベントの趣旨と講師紹介のあと、徳永さんが登壇された。
講演のタイトルは「五代友厚について」というもので、①五代友厚との出会い、②どんな人物か、③なぜ明治政府の高官を辞して民に下ったのか、④今、没後130年にして評価されているのか、⑤何を学び、どう生かすか、というもので、あらかじめ配布された資料に沿って講演された。
まず「今夜はこんなにたくさんの方々に集まっていただいて、心臓の方がパクパクしております。でもここで倒れましても、すぐそこに南風病院の院長先生がおられますので安心です・・・」というイントロに私はびっくりした。
