Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

良寛も遠くになりにけり(後)(2016/07/29) 

そしていよいよ別れ際に、ALS協会新潟県支部事務局長の若林さんから、岡野守也氏の「良寛の四季」いう小著を頂いた。サングラハ心理学研究所を主宰する岡野さんの良寛についてのコラムを季節ごとにまとめたものであるが、鋭い感性と温かな情感に満ちた文章には心をあらわれるものがある。
 さてこの本の一月と二月の項には、雪を詠んだ良寛の次のような漢詩が紹介されている。
 (一月)燭を把る 嵐窓の夜 夜静かにして 雪華飛ぶ 
    逍遥 皆 自得す 何れか是にして 何れか非なる
 (二月)千峰 凍雲合し 万径 人跡絶ゆ 毎日 只 面癖
    時に聞く 窓に そそぐ
 年譜によると、良寛は1758年に新潟県の出雲崎で生まれ、圓通寺での修行と諸国行脚の後、40歳で五合庵に入っている。そして1831年、74歳で没しているので、没後およそ170年ということになる。考えようによってはわざか170年前の世界であるのに、遠い昔の、そして日本ではない別世界のような錯覚に陥る。それほど時代の変化が激しく、また私たちは古来より日本人の持ってきた素晴らしい感性と田園をわずかな間にすべて失ってしまったのだろうか。
 物音一つしない雪に閉ざされた澄みわたる静寂、訪ねてくる人もほとんどいない小さな庵で、ひりり座禅しながらひたすら思索にふける生活。ゆったりと時間が流れ、みんな自分なりの納得を得ている。何が良くて何が悪いということもない。
 そこには現代の物質文明では味わえないような豊かな孤独がある。昔はああだった、こうだったと言ってしまえば反発を感じる向きも多いだろうが、このような死を詠むと戦後まだ日本全体が貧しいころ、どこでもそうであったような日本の原風景が思い浮かぶ。
 冬、南薩の台地でも霜柱がよく立った。ぴりっと張りつめた冷気の中で、空が白む頃、家族みんなで麦踏に出かける。白い息をかじかんだ手に吹きかける。はるか東には端麗な開聞岳と東シナ海が望まれる。おそらく靴を履いて麦を踏んだと思うのであるが、なぜか直に足裏に、少し水を含んだ青麦のやわらかい感触がある。麦踏みはしっかりした足腰の強い麦を育てるために必要とされていたようであるが、今ではそのような光景を目にすることはない。
 過疎と無計画な開発は四季の豊かな田園を荒廃させ、貧しくても心豊かな世界はどこか遠くに行ってしまった。比較文化の研究者は、日本の文化は村とか家族とか小集団の価値観に基づく小集団文化であり、いわゆる原理原則を基とする西洋の大集団文化とは異なるものだと指摘する。グローバルスタンダードが叫ばれる中で、日本古来の伝統文化といかにして調和を見出すかは難しい課題である。良寛の詩は、そして生き方は、一瞬ではあるが私たちを美しい日本の田園に、また支え合いを基盤にした牧歌的なコミュニティの世界に誘ってくれる。