快をささえる難病ケア スターティングガイド(後)(2016/07/27)
44歳で亡くなった宮田誠君は独創的な絵画を描きながら、鋭利な時代感覚も持ち合わせいた。1999年の受精卵の遺伝子診断の臨床応用に対しては、「診断を受けることは自分自身の存在を否定することにもなる」と苦悩する心を隠さなかった。河原先生とも親交が深く、「自立と自律について」次のような言葉を残している。
自分で自分の生活をコントロールすることができないと、よりよく生きることなど困難です。それがひいては自らの余命にまで影響し、結果として支援システムが育たない。僕は支援システムを育てるのは、実は我々被支援者自身なのではないかと最近考えるようになりました。
僕は呼吸器を使用するような重度の筋ジス患者は「自律」を目標にすべきだと思います。「自立」するためには社会に出なければ達成できませんが、「自律」は社会に出て生活しようがしまいが、本人の自覚次第で可能となるのです。
また46歳で亡くなった日高和俊君の歌集「花のちから」の前書きに、短歌を指導された川涯利雄先生は「彼は謙虚な人です。出会う人々に感謝し、献身的な看護師さんの仕事に感激し、その美しい生き方に恋をしています。・・・筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れてしずかな心で日々を過ごしています。みごとな達観です」と書かれている。この「達観」という二文字は、筋ジストロフィー患者の生き方をよく表した言葉だと思う。
人はかねての、それも小さい頃からの環境と学習、そして日ごろの「心の鍛錬」で強くなるものである。私が関わりを持った筋ジストロフィー患者の多くは、小さい頃から病気とうまく「折り合い」をつけて、ちょっとやそっとでは惑わされない強い心を持っていた。
現在がんと懸命に闘っている54歳の女性(脊髄性筋萎縮症)から「がんも治らないそうなので、うまく付き合いながら生きていきたいと思います。すごいですよね。治らない病気を二つももっちゃいました。それでも『けしんかぎぃきばります』(死ぬほど頑張りますという鹿児島弁)。先に逝った仲間達に、私も頑張ったよって言えるように!」というメールを頂いた。
お互い、筋ジストロフィー病棟で多くの友を見送ってきた。それも二十歳前後で別れた人が多かった。うっちゃんは「死にたくないよう」と言いながら逝ったっけ。「こん畜生」と言いながら亡くなった少年もいた。でも何もしてあげられなかったことを、本当にすまなく思っている。良寛さんの歌に「散る桜 残る桜も 散る桜」というものがあるが、人の世の理(ことわり)である。
根本治療には至らなかったものの、ケアや人工呼吸器の進歩もあり、20歳が平均寿命とされてきたデュシェヌ型筋ジストロフィー患者も40歳を超えるまで生きることが可能となった。そして情報技術を駆使して素晴らしい短歌やエッセイ、グラフィックなどを残してくれている。
筋ジストロフィー病棟を去って3年、静かに在りし日を振り返るとき、筋ジストロフィー病棟は「快楽」ではなかったにしても、ある種の「ユートピア的世界」があったのではないかとひそかに思っている。
自分で自分の生活をコントロールすることができないと、よりよく生きることなど困難です。それがひいては自らの余命にまで影響し、結果として支援システムが育たない。僕は支援システムを育てるのは、実は我々被支援者自身なのではないかと最近考えるようになりました。
僕は呼吸器を使用するような重度の筋ジス患者は「自律」を目標にすべきだと思います。「自立」するためには社会に出なければ達成できませんが、「自律」は社会に出て生活しようがしまいが、本人の自覚次第で可能となるのです。
また46歳で亡くなった日高和俊君の歌集「花のちから」の前書きに、短歌を指導された川涯利雄先生は「彼は謙虚な人です。出会う人々に感謝し、献身的な看護師さんの仕事に感激し、その美しい生き方に恋をしています。・・・筋ジストロフィーという過酷な運命にさえ感謝し、遠からず来るに決まっている死さえ受け入れてしずかな心で日々を過ごしています。みごとな達観です」と書かれている。この「達観」という二文字は、筋ジストロフィー患者の生き方をよく表した言葉だと思う。
人はかねての、それも小さい頃からの環境と学習、そして日ごろの「心の鍛錬」で強くなるものである。私が関わりを持った筋ジストロフィー患者の多くは、小さい頃から病気とうまく「折り合い」をつけて、ちょっとやそっとでは惑わされない強い心を持っていた。
現在がんと懸命に闘っている54歳の女性(脊髄性筋萎縮症)から「がんも治らないそうなので、うまく付き合いながら生きていきたいと思います。すごいですよね。治らない病気を二つももっちゃいました。それでも『けしんかぎぃきばります』(死ぬほど頑張りますという鹿児島弁)。先に逝った仲間達に、私も頑張ったよって言えるように!」というメールを頂いた。
お互い、筋ジストロフィー病棟で多くの友を見送ってきた。それも二十歳前後で別れた人が多かった。うっちゃんは「死にたくないよう」と言いながら逝ったっけ。「こん畜生」と言いながら亡くなった少年もいた。でも何もしてあげられなかったことを、本当にすまなく思っている。良寛さんの歌に「散る桜 残る桜も 散る桜」というものがあるが、人の世の理(ことわり)である。
根本治療には至らなかったものの、ケアや人工呼吸器の進歩もあり、20歳が平均寿命とされてきたデュシェヌ型筋ジストロフィー患者も40歳を超えるまで生きることが可能となった。そして情報技術を駆使して素晴らしい短歌やエッセイ、グラフィックなどを残してくれている。
筋ジストロフィー病棟を去って3年、静かに在りし日を振り返るとき、筋ジストロフィー病棟は「快楽」ではなかったにしても、ある種の「ユートピア的世界」があったのではないかとひそかに思っている。
