ドクターズマガジンと武先生(2016/07/01)
「ドクターズマガジン」(メディカル・プリンシプル社)の創刊200号が送られてきた。創刊が1999年で、メインの記事となる「ドクターの肖像」に200人の医師が登場したことになる。この肖像、数ページを使って写真も交えながら、その人の人生を語る履歴書のような構成になっている。私は「あるきっかけ」で、15年ほど前の2001年の10月号に「肖像」が掲載された。
「あるきっかけ」について、当時のことを思い起こしてみる。
編集発行人は中村敬彦さんで、「この肖像には大学教授などのアカデミズムのエスタブリシュメントとも重要ですが、離島や地方でそしてある分野で情熱を傾けて医療と取り組んでいる医師を紹介したいのです」という信念を持たれていた。キャリアとしては銀行・証券マンだったが、医師のリクルート業のビジネスモデルを開発された方である。
縁とは不思議なもので、私が懇意にしていた元NHKスポアナの島村俊治さん(NHKのスポアナとしては、夏冬のオリンピックの金メダル中継をもっとも多くされたという。南九州病院時代に、Viewの会で講演していただいたのが縁で、お付き合いしている)と早稲田大学の同期で、コーラスのクラブも一緒だったことを後で知った。
中村さんは見識の広いスマートな紳士で、渋谷界隈のお店で何回か食事もさせてもらう機会があった。「洗練された都会人とはこのような人を言うのだなあ」と感心することもしばしばだった。私が退職し時間的な余裕ができたら、中村さんが毎年出かけているインドやカトマンズ、そしてヒマラヤの山行にお連れしたいと言われていたが、(私の都合で)どうも実現しそうにない。
さて私の場合には、柳澤信夫先生(2000年4月号に掲載)を取材した時の繋がりで近藤清彦先生(故郷の八鹿病院の副院長として活躍中だったが、現在は松本市の相沢病院に脳卒中・脳神経センターの部長として勤務されている。ALSの在宅人工呼吸療法と音楽療法に造詣が深く、日本神経学会賞なども受賞されている)の紹介と、当時鹿児島市立病院院長だった武弘道先生(2000年11月号に掲載、2009年4月、72歳でご逝去)から強く推薦していただいたということだった。この「肖像」で紹介された面々をみると、日野原先生や黒川先生、若月先生など斯界の大御所が名を連ねていたので、当時はまだ50歳の若輩で「分じゃない」とお断りしたが、武先生から何度もプッシュされて承諾したように記憶している。振り返ってみるとこの肖像で紹介されたことで、全国の多くの医師との繋がりを持つ一つの機会になり、結果的には有難いことだった。
取材には中村さんと副編集長でライターの及川佐知枝さん、カメラマンの田中誠さんが同行し、その夜は「さつま路」で武先生も交えて楽しい歓談の席も用意してもらった。その後、中村さんや及川さんとは懇意になり、東京などで何度も食事を一緒にすることとなった。田中さんはプロのカメラマンだったが、胃がんのために亡くなられたと聞いたことがある。また中村さんから「先生からも、(肖像)にどなたか推薦してください」ということで、井形先生と納先生、丸山先生などを、そしてチャレンジャーのコーナーに当院の毛利先生や吉嶺先生などを紹介したように思う。また及川さんの肝いりで、日高君のグラフィックを連載で掲載してもらった。また私自身も、表紙の裏のオピニオンに2回、対談にも2回ほど出させてもらった。しかし数年前に中村編集発行人が辞められてからは、この会社とも縁はなくなってしまった。
「あるきっかけ」について、当時のことを思い起こしてみる。
編集発行人は中村敬彦さんで、「この肖像には大学教授などのアカデミズムのエスタブリシュメントとも重要ですが、離島や地方でそしてある分野で情熱を傾けて医療と取り組んでいる医師を紹介したいのです」という信念を持たれていた。キャリアとしては銀行・証券マンだったが、医師のリクルート業のビジネスモデルを開発された方である。
縁とは不思議なもので、私が懇意にしていた元NHKスポアナの島村俊治さん(NHKのスポアナとしては、夏冬のオリンピックの金メダル中継をもっとも多くされたという。南九州病院時代に、Viewの会で講演していただいたのが縁で、お付き合いしている)と早稲田大学の同期で、コーラスのクラブも一緒だったことを後で知った。
中村さんは見識の広いスマートな紳士で、渋谷界隈のお店で何回か食事もさせてもらう機会があった。「洗練された都会人とはこのような人を言うのだなあ」と感心することもしばしばだった。私が退職し時間的な余裕ができたら、中村さんが毎年出かけているインドやカトマンズ、そしてヒマラヤの山行にお連れしたいと言われていたが、(私の都合で)どうも実現しそうにない。
さて私の場合には、柳澤信夫先生(2000年4月号に掲載)を取材した時の繋がりで近藤清彦先生(故郷の八鹿病院の副院長として活躍中だったが、現在は松本市の相沢病院に脳卒中・脳神経センターの部長として勤務されている。ALSの在宅人工呼吸療法と音楽療法に造詣が深く、日本神経学会賞なども受賞されている)の紹介と、当時鹿児島市立病院院長だった武弘道先生(2000年11月号に掲載、2009年4月、72歳でご逝去)から強く推薦していただいたということだった。この「肖像」で紹介された面々をみると、日野原先生や黒川先生、若月先生など斯界の大御所が名を連ねていたので、当時はまだ50歳の若輩で「分じゃない」とお断りしたが、武先生から何度もプッシュされて承諾したように記憶している。振り返ってみるとこの肖像で紹介されたことで、全国の多くの医師との繋がりを持つ一つの機会になり、結果的には有難いことだった。
取材には中村さんと副編集長でライターの及川佐知枝さん、カメラマンの田中誠さんが同行し、その夜は「さつま路」で武先生も交えて楽しい歓談の席も用意してもらった。その後、中村さんや及川さんとは懇意になり、東京などで何度も食事を一緒にすることとなった。田中さんはプロのカメラマンだったが、胃がんのために亡くなられたと聞いたことがある。また中村さんから「先生からも、(肖像)にどなたか推薦してください」ということで、井形先生と納先生、丸山先生などを、そしてチャレンジャーのコーナーに当院の毛利先生や吉嶺先生などを紹介したように思う。また及川さんの肝いりで、日高君のグラフィックを連載で掲載してもらった。また私自身も、表紙の裏のオピニオンに2回、対談にも2回ほど出させてもらった。しかし数年前に中村編集発行人が辞められてからは、この会社とも縁はなくなってしまった。
