死に方もいろいろ(1)(2016/08/26)
人は遅かれ早かれ、一度は死ぬる運命にある。私自身も歳を重ねて自らの行く末を現実のものとして想像できるようになり、また身近な人たちがあの世へと旅立っていく機会が増えるにつれて、「死に方」に思いを巡らすことも多くなった。「何でも引き算でものがみるようになるんだよ」と秘書の鳥居さんに言っても、まだ若い彼女にはわからないようだ。逆説的な言い方にすれば、「死に方」を考えるということは「生き方」を考えることでもある。
私は今まで、「人の一生は、生老病死の4楽章を辿る旅人のようなものだ」と書いたり話したりしてきた。一人ひとりの長い人生では、思いがけない病気で伏せることになったり、また老化という自然の摂理で長期の臥床を強いられることもある。幸いにも今日まで、病気らしい病気をせずに済んできたが、先のことは誰もわからない。元気で働き、人さまに迷惑をかけずにコロッと死ねたらと願いつつも、世の中のこと思い通りにはいかないのも現実である。
最近の一般的な風潮としては、「元気でピンピンコロリ(PPK)が最高」と言われることが多い。超高齢社会を迎え、医療費の節約も琴瑟の問題になりそうである。保険財政の立場からは、健康保険で支払われる医療費に「年齢」的要素が加味される時代も来るかもしれない。
とはいえ、あまのじゃく的な考え方として、「患え、ながらえることも人の道」という立場から先人の知恵を求めることにした。人に多少の迷惑をかけながら自然体で生きることも、人の生き方の一つではないかとも思うのである。
① 「よしゆき」さんの死
もうずいぶん前のことになるが、桐野三郎さんが「明日が見えていた男の物語(随筆かごしま)」というタイトルで、「随筆かごしま」の創業者であった上薗義之さんについて語ったくだりに「なるほど」と納得したものである。私は義之さんとは直接面識はなかったが、奥様の登志子さんとは「随筆かごしま」に何度も寄稿させてもらったり、私の「本の出版」を通して長い間懇意にしていただいていた。
桐野さんは義之さんが55歳の時にくも膜下出血で倒れてから、植物状態のまま亡くなるまでの5年半の「療養の意味」を説得力のある言葉で綴っている。医学的には3桁(昏睡)の状態と推測されるが、「枕元で交わされる家族や見舞客の会話に最後まで反応したようで、この5年余の生存は彼自身の問題ではなく寝たきりの彼を取り巻く周囲の人間の変化や、彼が周りの人に与えた影響力は計り知れないものがあった」とも書いている。
義之さんは自由奔放で憎めない性格であったらしく、それだけに元気な頃は火宅の諍いが絶えなかったそうである。枕元では見舞客の間で往年の義之さんの行状や過去が語られ、そこに横たわる義之さんがかすかに反応する。
「この人、ちゃんと聴こえているんだよね」と言われながら。そのうちに義之さんを語る人々の口調から、非難や恨みがましい響きが徐々に消えていき、魅力の方が多く語られるようになる。家族の心の中でも、夫或いは父親と過ごした日々が、すさんだ記憶から懐かしい思い出へと変質していった。遂に義之さんはそこに躰を横たえるだけで、一言の自己弁護もなく恕(ゆる)されたのだと看破している。桐野さんの冷静で鋭い見方と描写には感服である。PPKで終わる人生は逝く側も見送る側も確かに楽で有り難いが、多くの人が忌み嫌う「寝たきり」の人生もまんざら捨てたものではないと結んでいる。
私は今まで、「人の一生は、生老病死の4楽章を辿る旅人のようなものだ」と書いたり話したりしてきた。一人ひとりの長い人生では、思いがけない病気で伏せることになったり、また老化という自然の摂理で長期の臥床を強いられることもある。幸いにも今日まで、病気らしい病気をせずに済んできたが、先のことは誰もわからない。元気で働き、人さまに迷惑をかけずにコロッと死ねたらと願いつつも、世の中のこと思い通りにはいかないのも現実である。
最近の一般的な風潮としては、「元気でピンピンコロリ(PPK)が最高」と言われることが多い。超高齢社会を迎え、医療費の節約も琴瑟の問題になりそうである。保険財政の立場からは、健康保険で支払われる医療費に「年齢」的要素が加味される時代も来るかもしれない。
とはいえ、あまのじゃく的な考え方として、「患え、ながらえることも人の道」という立場から先人の知恵を求めることにした。人に多少の迷惑をかけながら自然体で生きることも、人の生き方の一つではないかとも思うのである。
① 「よしゆき」さんの死
もうずいぶん前のことになるが、桐野三郎さんが「明日が見えていた男の物語(随筆かごしま)」というタイトルで、「随筆かごしま」の創業者であった上薗義之さんについて語ったくだりに「なるほど」と納得したものである。私は義之さんとは直接面識はなかったが、奥様の登志子さんとは「随筆かごしま」に何度も寄稿させてもらったり、私の「本の出版」を通して長い間懇意にしていただいていた。
桐野さんは義之さんが55歳の時にくも膜下出血で倒れてから、植物状態のまま亡くなるまでの5年半の「療養の意味」を説得力のある言葉で綴っている。医学的には3桁(昏睡)の状態と推測されるが、「枕元で交わされる家族や見舞客の会話に最後まで反応したようで、この5年余の生存は彼自身の問題ではなく寝たきりの彼を取り巻く周囲の人間の変化や、彼が周りの人に与えた影響力は計り知れないものがあった」とも書いている。
義之さんは自由奔放で憎めない性格であったらしく、それだけに元気な頃は火宅の諍いが絶えなかったそうである。枕元では見舞客の間で往年の義之さんの行状や過去が語られ、そこに横たわる義之さんがかすかに反応する。
「この人、ちゃんと聴こえているんだよね」と言われながら。そのうちに義之さんを語る人々の口調から、非難や恨みがましい響きが徐々に消えていき、魅力の方が多く語られるようになる。家族の心の中でも、夫或いは父親と過ごした日々が、すさんだ記憶から懐かしい思い出へと変質していった。遂に義之さんはそこに躰を横たえるだけで、一言の自己弁護もなく恕(ゆる)されたのだと看破している。桐野さんの冷静で鋭い見方と描写には感服である。PPKで終わる人生は逝く側も見送る側も確かに楽で有り難いが、多くの人が忌み嫌う「寝たきり」の人生もまんざら捨てたものではないと結んでいる。
