Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

指宿での難病医療相談(2016/08/25) 

鹿児島県難病相談・支援センターでは毎年、巡回難病医療相談を離島や県下各地の保健所で開催してきたが、今回は8月22日、指宿保健所で開催することとなった。
 朝9時半、鹿児島市小野町にあるセンターを、保健師の福元さん、心理担当の岩田さんの3人で出発した。行は福元さんの運転(帰りは岩田さん、私は後部座席でゆっくり)で、鹿児島北インターで高速道路に乗り、谷山インターから国道226号線を指宿に、渋滞もなく保健所には11時前に着くことができた。11時半過ぎに、指宿保健所の保健師も交えて、打ち合わせをかねてちょっと早い昼食(最近はこのようなイベントでは、ワンコインの弁当を摂るのが普通)、ここの弁当はバランスがとれていて(特にらっきょうの、みそあえ)美味しかった。
 私の講話(パーキンソン病とうまく付き合う方法)は午後1時に始まったが、まず最初のスライドには、知覧町から開聞岳を写したものを使った。私は小学4年生まで頴娃町で育ったので、指宿はどちらかというとホームグランドでもある。次のスライドには、8月16日に南日本新聞に掲載された「井形昭弘先生を偲んで」のスライドを使わせてもらった。私が井形先生の教室に入局した頃だから40数年前のことだが、当時日曜日を利用して県下の保健所で「難病検診」を行っていた。この指宿保健所での検診は、入局して間もないころで、私にはよくわからない患者さんがおられたので、井形先生に聞いたら「ALSです」と言われたことをなぜか鮮明に覚えている。懐かしい思い出である。
 講話では、パーキンソン病は高齢社会の影響で増えてきており、極端な言い方をすれば、人生60歳の時代にはこの病気の患者さんはほとんどいなかったわけで、「長寿が叶ったからこそこの病気になったのだ」と誤解も受けそうな本音の話をした。
 交流会(質疑応答)はロの字型に机を並べて、福元さんが一人一人にマイクを回しながら、現況や質問などざっくばらんに話してもらう方式をとった。
 その中の60代の女性は「この病気はうつる(伝染する)のでしょうか」と深刻な口調で話しだした。「私も誰からうつって、このような病気になったのかわからないのですが、周りの人にうつるからと遠ざけられている・・・」という。この時代に奇想天外な想定外の質問であるが、まだこのような認識しかない地域(わがホームグランドで情けない話であるが)もあるということである。
 また「どうして私がこのような病気になったのでしょうか。神様があんたならこの病気と仲良くやっていけると思ったのでしょうか」と、悔恨とも感謝とも取れるような意味深な話をした60代の女性もいた。
 70代の車椅子の女性は隣に座っている寡黙で実直そうな叔父さん風のご主人をみながら「私は年をとったら、夫と東北地方を旅するのが夢でしたけど、もうできないようです・・・」と言われる。「全然問題なく旅行できます。人工呼吸器をつけて外国旅行もできる時代ですので、全く問題はありません」と答えるとうれしそうに頷かれていた。
 一人一人が適切な時間をとって話されたので、ほぼ予定されていた時間内に、全ての人が話すことができて「万々歳」である。時にこのような会合では、一人の人が要領のえない長話をして困ることがある。