現代の喪失(後)(2016/08/23)
さて講演は、川涯先生の師である岡野先生の考えの根底にある日本人の「鎮魂の喪失」を現代社会の大きな問題であると分析されていた。川涯先生ご自身は現在75歳を超えているはずだが、声も話し方も考え方も若々しく明快で、年齢など微塵も感じさせることなく一時間が瞬く間に過ぎ行く感じだった。
本論に行く前にまず岡野先生について述べたいと思う。私は昨年の夏、この同じ華文化講演会で先生の話を聞いたが、当時91歳には思えない魅力的な活力に満ちた話をされた。
先生は三重県の生まれで何百年も続く神主の家に長男として生まれる。神宮皇學館普通科を経て1948年に國學院大學国文科卒。1946年、学生時代から釈迢空(折口信夫)主宰の短歌結社「鳥船社」に入社、1947年(昭和22年)からは折口家に同居、その死を看取った。1953年から國學院大學講師、1961年に助教授、1969年に教授、1975年からは文学部長。宮中と関わりが深く宮内庁御用掛(1983年~2007年)、昭和天皇の作歌指南役を務めたほか、皇太子徳仁親王、皇太子徳仁親王妃雅子にも和歌の進講をしており、歌会始選者も務めておられ、文化功労者にも選ばれている。
川涯先生の話の要点は、戦後日本社会が「鎮魂」ということを忘れてしまっているという恩師の岡野先生の嘆きを代弁されていた。鎮魂という意味には、懐かしむという意味と魂を慰めるという意味がある。
岡野先生は予科の2年になった時に特攻隊要員の募集があって、自分たちが犠牲にならないと国は救えないんだという切羽詰まった気持ちがあって、志願しようと思って書類を取り寄せた。すると父親が駆けつけてきて、一晩父親から説得された。同級生は特攻隊員になって死んでいった。そのため、戦後の先生の人生は、その人たちへの「鎮魂」の歌を作り魂を鎮めることだったという。
また岡野先生は折口信夫の高弟で、6年間生活をともにされた。折口同様、第二次大戦で失った戦死者の鎮魂は大きな課題で、「反戦」という意味では徹底した考えを持っておられた。
まず「短歌」8月特集号から岡野の2首を紹介された。
辛くしてわが生き得しは 彼らより狡猾(こうかつ)なりし故に あらじか
かかる世に替えし われらの命かと 老いざる死者の声 怨みいふ
「第二次大戦で無念の死を遂げた若者(老いざる死者)は、自分たちが命を投げ出した戦争が、日本の現状をみるとき怨みの声が聞こえてきそうである」というような意味である。
川涯先生の講演では、「鎮魂」という表題を軸にして、歌や物語を紹介された。
近江の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに古(いにしえ)思ほゆ
飛鳥時代には、大化の改新で活躍した天智天皇(中大兄皇子)が近江に都(近江宮)を築いたが、すぐに遷都となり近江宮は荒れ果ててしまう。
また鎌倉時代には当時の幕府は琵琶法師を全国に行脚させて、平家の滅亡の物語を謡わせた。時の将軍は、「鎮魂」という日本古来の習わしによるものだったという。
このように日本人はさまざまな行事(正月の神迎え、神送りや盆の迎え火、盆踊り、送り火など)は、「死者への鎮魂」の思想から、さまざまな行事から生まれたものだったという。
最後に「現代社会」を次のようなキーワードを掲げて分析された。
経済優先、若者の貧困、政府の右傾化、親殺し・子殺し、災害大国で、特に貧富の拡大と若者の貧困は国の将来を危うくしていると強調された。日本に限らず資本主義経済には貧富を拡大させる構造的な仕組みを内在させている。このような傾向が続くと、若い人は結婚することもできなくなり、少子高齢化は加速する。日本の行く末は暗い。
本論に行く前にまず岡野先生について述べたいと思う。私は昨年の夏、この同じ華文化講演会で先生の話を聞いたが、当時91歳には思えない魅力的な活力に満ちた話をされた。
先生は三重県の生まれで何百年も続く神主の家に長男として生まれる。神宮皇學館普通科を経て1948年に國學院大學国文科卒。1946年、学生時代から釈迢空(折口信夫)主宰の短歌結社「鳥船社」に入社、1947年(昭和22年)からは折口家に同居、その死を看取った。1953年から國學院大學講師、1961年に助教授、1969年に教授、1975年からは文学部長。宮中と関わりが深く宮内庁御用掛(1983年~2007年)、昭和天皇の作歌指南役を務めたほか、皇太子徳仁親王、皇太子徳仁親王妃雅子にも和歌の進講をしており、歌会始選者も務めておられ、文化功労者にも選ばれている。
川涯先生の話の要点は、戦後日本社会が「鎮魂」ということを忘れてしまっているという恩師の岡野先生の嘆きを代弁されていた。鎮魂という意味には、懐かしむという意味と魂を慰めるという意味がある。
岡野先生は予科の2年になった時に特攻隊要員の募集があって、自分たちが犠牲にならないと国は救えないんだという切羽詰まった気持ちがあって、志願しようと思って書類を取り寄せた。すると父親が駆けつけてきて、一晩父親から説得された。同級生は特攻隊員になって死んでいった。そのため、戦後の先生の人生は、その人たちへの「鎮魂」の歌を作り魂を鎮めることだったという。
また岡野先生は折口信夫の高弟で、6年間生活をともにされた。折口同様、第二次大戦で失った戦死者の鎮魂は大きな課題で、「反戦」という意味では徹底した考えを持っておられた。
まず「短歌」8月特集号から岡野の2首を紹介された。
辛くしてわが生き得しは 彼らより狡猾(こうかつ)なりし故に あらじか
かかる世に替えし われらの命かと 老いざる死者の声 怨みいふ
「第二次大戦で無念の死を遂げた若者(老いざる死者)は、自分たちが命を投げ出した戦争が、日本の現状をみるとき怨みの声が聞こえてきそうである」というような意味である。
川涯先生の講演では、「鎮魂」という表題を軸にして、歌や物語を紹介された。
近江の海 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに古(いにしえ)思ほゆ
飛鳥時代には、大化の改新で活躍した天智天皇(中大兄皇子)が近江に都(近江宮)を築いたが、すぐに遷都となり近江宮は荒れ果ててしまう。
また鎌倉時代には当時の幕府は琵琶法師を全国に行脚させて、平家の滅亡の物語を謡わせた。時の将軍は、「鎮魂」という日本古来の習わしによるものだったという。
このように日本人はさまざまな行事(正月の神迎え、神送りや盆の迎え火、盆踊り、送り火など)は、「死者への鎮魂」の思想から、さまざまな行事から生まれたものだったという。
最後に「現代社会」を次のようなキーワードを掲げて分析された。
経済優先、若者の貧困、政府の右傾化、親殺し・子殺し、災害大国で、特に貧富の拡大と若者の貧困は国の将来を危うくしていると強調された。日本に限らず資本主義経済には貧富を拡大させる構造的な仕組みを内在させている。このような傾向が続くと、若い人は結婚することもできなくなり、少子高齢化は加速する。日本の行く末は暗い。
