現代の喪失(前)(2016/08/22)
短歌とエッセイ「華」短歌会文化講演会が8月6日、市民文化ホールで開催された。
この「華」短歌会は、平成2年に川涯利雄先生により創刊された短歌会で、平成22年からは現在の森山良太先生が代表を引き継いでいる。私は歌を詠んだことはなく「華」短歌会とは特別な関係はないのだが、南九州病院時代に川涯先生と「Viewの会」で一緒に活動していた縁もあり、「華」を毎号送ってもらっている。
今回の講演会は一部がパネリストらによるシンポジウム「短歌の魅力とは?」で、第二部が川涯先生の講演「現代の喪失~岡野弘彦の歌を中心に~」であった。会場の大会議室には、華の会員を中心に200人近くの人が出席していたのではないだろうか。
この講演会の前日、先生から「川涯利雄エッセイ集~フィンランディアー感謝と祷りー~」と歌集「エロイカを聞く夜に」が送られてきていた。本の略歴には、昭和15年鹿児島生、国学院大学文学部卒、慶応義塾大学文学部卒、高校教師定年後、老人ホーム施設長、現在幼稚園園長、・・・。などと書かれている。
エッセイ集の方は「華」の創刊号から80号までの「編集つれずれ」を石原修さんという人が内容別に分類されたものから編集したものだという。私は川涯先生とは「華」の創刊時より付き合いがあり、20年近く交友してきたのでおぼろげながら先生のことは存じていると思っていたが、本を読みながらその生涯にびっくりするような事実を知りあらためて先生の凄さを知る思いだった。
サブタイトルにもなっているフィンランディアは、平成8年10月にアメリカに留学中の三男がベーカー山で遭難したとの報を受け、夫妻で現地に向かう。着陸態勢に入ったシアトル空港でイヤホーンに飛びこんで来たのがこの曲だったという。この曲は清水小学校6年の時に偶然にも、遭難した三男がトランペットで練習していたその曲だったのである。当時先生は出水高校に務めておられたが、養護学校への転勤を願い出て、生きる方向を変える決心をされたという。そして姶良カトリック教会のミサに毎週与り、夫婦で洗礼を受けるに至ったのだという。私が加治木の南九州病院で先生を知るきっかけになったのはそのようなご縁があってのことである。
一方、歌集の「エロイカを聞く夜に」では、4歳の長男が事故のため亡くなったときの模様や奥様の様子などを克明に歌にされている。「解説」で恩師の岡野弘彦先生は「・・・まだうら若い妻と、初めて得たわが子と、若く貧しいけれども倦怠感などつけいる隙のないみずみずしい時間が、そこにあった。同時に、このかけがえのない幸福の時が破られるいたましい刹那を思って、私の心はおびえた。・・・」と記されている。そのような状況下で、作歌されたことは凄い精神力だと思う反面、作歌が癒しになっていたのだろうと思うことである。
この「華」短歌会は、平成2年に川涯利雄先生により創刊された短歌会で、平成22年からは現在の森山良太先生が代表を引き継いでいる。私は歌を詠んだことはなく「華」短歌会とは特別な関係はないのだが、南九州病院時代に川涯先生と「Viewの会」で一緒に活動していた縁もあり、「華」を毎号送ってもらっている。
今回の講演会は一部がパネリストらによるシンポジウム「短歌の魅力とは?」で、第二部が川涯先生の講演「現代の喪失~岡野弘彦の歌を中心に~」であった。会場の大会議室には、華の会員を中心に200人近くの人が出席していたのではないだろうか。
この講演会の前日、先生から「川涯利雄エッセイ集~フィンランディアー感謝と祷りー~」と歌集「エロイカを聞く夜に」が送られてきていた。本の略歴には、昭和15年鹿児島生、国学院大学文学部卒、慶応義塾大学文学部卒、高校教師定年後、老人ホーム施設長、現在幼稚園園長、・・・。などと書かれている。
エッセイ集の方は「華」の創刊号から80号までの「編集つれずれ」を石原修さんという人が内容別に分類されたものから編集したものだという。私は川涯先生とは「華」の創刊時より付き合いがあり、20年近く交友してきたのでおぼろげながら先生のことは存じていると思っていたが、本を読みながらその生涯にびっくりするような事実を知りあらためて先生の凄さを知る思いだった。
サブタイトルにもなっているフィンランディアは、平成8年10月にアメリカに留学中の三男がベーカー山で遭難したとの報を受け、夫妻で現地に向かう。着陸態勢に入ったシアトル空港でイヤホーンに飛びこんで来たのがこの曲だったという。この曲は清水小学校6年の時に偶然にも、遭難した三男がトランペットで練習していたその曲だったのである。当時先生は出水高校に務めておられたが、養護学校への転勤を願い出て、生きる方向を変える決心をされたという。そして姶良カトリック教会のミサに毎週与り、夫婦で洗礼を受けるに至ったのだという。私が加治木の南九州病院で先生を知るきっかけになったのはそのようなご縁があってのことである。
一方、歌集の「エロイカを聞く夜に」では、4歳の長男が事故のため亡くなったときの模様や奥様の様子などを克明に歌にされている。「解説」で恩師の岡野弘彦先生は「・・・まだうら若い妻と、初めて得たわが子と、若く貧しいけれども倦怠感などつけいる隙のないみずみずしい時間が、そこにあった。同時に、このかけがえのない幸福の時が破られるいたましい刹那を思って、私の心はおびえた。・・・」と記されている。そのような状況下で、作歌されたことは凄い精神力だと思う反面、作歌が癒しになっていたのだろうと思うことである。
