偲ぶ会(2016/08/19)
昨年の8月18日に母は亡くなったが、その時は諸般の事情も考えて「家族葬」にすることにした。ところが、幼少期を一緒に過ごした田舎の親戚からは「叔母さんを一緒に送りたかった」という声もあり、ちょうど一年近くになるお盆の中日の14日に「偲ぶ会」を企画した。たまたま恩師である井形先生の葬儀とも重なってしまって後ろ髪をひかれる思いだったが、先生には不義理を承知で「偲ぶ会」を優先させてもらった。先生のことだからきっと理解してくれるだろう、と思いながら。
まず、11時から西本願寺鹿児島別院で初盆と一年忌の法要をしていただいた。東京や神奈川、三重などから多くの親戚と、また母が生まれ育った頴娃町からもたくさんの人に来ていただいた。法要の後、冷水町の納骨堂に参拝し、12時半から近くの中原別荘で「偲ぶ会」を催した。
ホテルの2階の大広間の舞台には母の遺影と、食事のお供え物が置かれている。まだ一年しか経っていないのに、どういうわけかもうずいぶん経ったような気もする。母は95歳で亡くなったが、母はかねてから「無理な延命はしたくない」と言っていた。そのような言葉の端々から考えると、認知症の始まった最期の5年は不本意な期間ではなかっただろうかと類推する。「偲ぶ会」の挨拶で兄が詳しく話していたが、85歳の時に脳梗塞で右麻痺になり、90歳を過ぎたころから記銘力低下が始まった。ただ救いは、亡くなる直前まで人格は保たれていたことである。
偲ぶ会では、兄が趣旨説明や母の最期の様子などを話したのち、母からすれば甥にあたる上村さんが献杯を行い、その後、何人かの人に母にまつわる思い出話などしていただいた。
私は会の最後を、次のような言葉で締めくくった。
人にはそれぞれ、先立たれた故人とのいろいろな思い出があるものです。
私は南九州病院に勤めていた頃は、月に何度も東京に出張していました。鹿児島空港に着くといつも、「元気ね、今から行ってくるからね」と母に電話をしたものでした。母からは「元気で行って来いよ」という一言でしたが、そのような電話をかける相手がいなくなったのは、実に寂しいものがあります。母はいつも前向きで、自らの悩みなどあまり見せたことのない人でした。自分が母の過ごした年齢を一歳ずつ辿って行っていますが、これもなかなか難しいことだと実感しております。
また母は私が書くものの熱心な読者でした。畏れ多いことですが一昨日亡くなられた恩師の井形先生も、私の書くものを熱心に読んで下さり、よくメールもいただきました。私にとっては、かけがえのないお二人を相次いで見送ってしまったことになります。
日本には「鎮魂」と言う言葉があります。故人を懐かしむ、故人の魂を慰めるという意味です。母も、先だった父のもとで「元気で楽しく仲良く暮らせよ」と言ってくれているような気がします。
本日は遠くからこの「偲ぶ会」に足を運んでいただき、ありがとうございました。それぞれに「鎮魂」のきっかけにしていただければ幸いです。
まず、11時から西本願寺鹿児島別院で初盆と一年忌の法要をしていただいた。東京や神奈川、三重などから多くの親戚と、また母が生まれ育った頴娃町からもたくさんの人に来ていただいた。法要の後、冷水町の納骨堂に参拝し、12時半から近くの中原別荘で「偲ぶ会」を催した。
ホテルの2階の大広間の舞台には母の遺影と、食事のお供え物が置かれている。まだ一年しか経っていないのに、どういうわけかもうずいぶん経ったような気もする。母は95歳で亡くなったが、母はかねてから「無理な延命はしたくない」と言っていた。そのような言葉の端々から考えると、認知症の始まった最期の5年は不本意な期間ではなかっただろうかと類推する。「偲ぶ会」の挨拶で兄が詳しく話していたが、85歳の時に脳梗塞で右麻痺になり、90歳を過ぎたころから記銘力低下が始まった。ただ救いは、亡くなる直前まで人格は保たれていたことである。
偲ぶ会では、兄が趣旨説明や母の最期の様子などを話したのち、母からすれば甥にあたる上村さんが献杯を行い、その後、何人かの人に母にまつわる思い出話などしていただいた。
私は会の最後を、次のような言葉で締めくくった。
人にはそれぞれ、先立たれた故人とのいろいろな思い出があるものです。
私は南九州病院に勤めていた頃は、月に何度も東京に出張していました。鹿児島空港に着くといつも、「元気ね、今から行ってくるからね」と母に電話をしたものでした。母からは「元気で行って来いよ」という一言でしたが、そのような電話をかける相手がいなくなったのは、実に寂しいものがあります。母はいつも前向きで、自らの悩みなどあまり見せたことのない人でした。自分が母の過ごした年齢を一歳ずつ辿って行っていますが、これもなかなか難しいことだと実感しております。
また母は私が書くものの熱心な読者でした。畏れ多いことですが一昨日亡くなられた恩師の井形先生も、私の書くものを熱心に読んで下さり、よくメールもいただきました。私にとっては、かけがえのないお二人を相次いで見送ってしまったことになります。
日本には「鎮魂」と言う言葉があります。故人を懐かしむ、故人の魂を慰めるという意味です。母も、先だった父のもとで「元気で楽しく仲良く暮らせよ」と言ってくれているような気がします。
本日は遠くからこの「偲ぶ会」に足を運んでいただき、ありがとうございました。それぞれに「鎮魂」のきっかけにしていただければ幸いです。
