旗振るな(2016/08/09)
もうずいぶん昔のことになるが、作家の平林たい子が時の首相中曽根康弘の演説を「かんなくずのように薄っぺら。マッチ1本ですぐ燃え尽きる」と称したことがあった。辛らつな批評であるが、どことなく核心をついているようで面白く受けとられたような記憶がある。
ところが最近では、アメリカ大統領候補のトランプ氏を筆頭にして、日本の政治家の中にもこのようなポピュリスト的な言動を弄する人物が多くなった。古いことわざになるが「巧言令色 鮮(すくな)し仁(じん)」というもので、「口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること」の意味である。
最近ある会合に参加したときのことだが、扇動的な発言は政治家の専売特許だと思っていたら、身近な会合でも酔いしれたように「演説」している人がいてびっくりした。 これも昔のことになるが、城山三郎と藤沢周平の対談(文芸春秋)を思い出して読み返してみた。その中に、「旗」という城山の詩を紹介している。
旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため・・・・
そして次のように語っている。
藤沢「いい詩ですね。戦争中、旗振りが非常に多くて、さんざんにやられましたから、本当にたくさん、という気持ちで一杯です」。
城山「いまでも目に見えない旗を振っている人がいるから、怖いんです。小説好きは、旗を嫌いますから、みんながもっと小説を読んでくれるといいですね。それが文学の持つ力ではないでしょうか」
先日、川涯利雄先生(歌人)が講演の冒頭で「鳥にあり獣にあり他人にあり我にあり命といふは何をはたらく」という宮柊二の歌を紹介していた。宮は昭和を代表する歌人の一人であるが、中国で足かけ5年を兵士として過ごしている。
先の歌で「我にあり」があるために字余りの歌になっているが、実はこの「我にあり」に意味があるのだという。自分を含めてこの「我」というものが、その命を拡張するために絶えず他者と殺戮や闘争を繰り返すという何とも言えない感慨の歌だという。
さてこの「我」を左と右に分けると、元々はギザギザのついた形の良い武器・刃物(戈・ほこ)の事を示している(藤堂)。「我を通す」とは「自分の意志や考えを言い張って、人の言葉に従わないこと。わがまま」と辞書には書かれている。
日本も戦後70年を過ぎて、穏やかな平和な時代が危うくなってきている。戦前、戦中を生きて来られた人も次第に少なくなり、我々のような戦後世代が人口の大半を占めるようになってきている。「旗を振るな」という城山の言葉の意味をかみしめる時なのかも知れない。
ところが最近では、アメリカ大統領候補のトランプ氏を筆頭にして、日本の政治家の中にもこのようなポピュリスト的な言動を弄する人物が多くなった。古いことわざになるが「巧言令色 鮮(すくな)し仁(じん)」というもので、「口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること」の意味である。
最近ある会合に参加したときのことだが、扇動的な発言は政治家の専売特許だと思っていたら、身近な会合でも酔いしれたように「演説」している人がいてびっくりした。 これも昔のことになるが、城山三郎と藤沢周平の対談(文芸春秋)を思い出して読み返してみた。その中に、「旗」という城山の詩を紹介している。
旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため・・・・
そして次のように語っている。
藤沢「いい詩ですね。戦争中、旗振りが非常に多くて、さんざんにやられましたから、本当にたくさん、という気持ちで一杯です」。
城山「いまでも目に見えない旗を振っている人がいるから、怖いんです。小説好きは、旗を嫌いますから、みんながもっと小説を読んでくれるといいですね。それが文学の持つ力ではないでしょうか」
先日、川涯利雄先生(歌人)が講演の冒頭で「鳥にあり獣にあり他人にあり我にあり命といふは何をはたらく」という宮柊二の歌を紹介していた。宮は昭和を代表する歌人の一人であるが、中国で足かけ5年を兵士として過ごしている。
先の歌で「我にあり」があるために字余りの歌になっているが、実はこの「我にあり」に意味があるのだという。自分を含めてこの「我」というものが、その命を拡張するために絶えず他者と殺戮や闘争を繰り返すという何とも言えない感慨の歌だという。
さてこの「我」を左と右に分けると、元々はギザギザのついた形の良い武器・刃物(戈・ほこ)の事を示している(藤堂)。「我を通す」とは「自分の意志や考えを言い張って、人の言葉に従わないこと。わがまま」と辞書には書かれている。
日本も戦後70年を過ぎて、穏やかな平和な時代が危うくなってきている。戦前、戦中を生きて来られた人も次第に少なくなり、我々のような戦後世代が人口の大半を占めるようになってきている。「旗を振るな」という城山の言葉の意味をかみしめる時なのかも知れない。
