ALSフォーラムと二つの案件(後)(2016/08/05)
さてもう一つが、これも長年、病気の相談を受けてきた人に会っておこうと考えたのである。この患者さんとの出会いは6年ほど前に遡る。
当時南九州病院で交換手をされていた野元さんから、「東京からお電話です」ということで、ピッチをとると電話の向こうから元気な女性の声である。「先生のパーキンソン病の本を読んで、主人が是非一度診てもらいたいというものですから」ということである。住所を聞くと東京の世田谷区で、国立病院機構本部のある駒沢とは比較的近い距離にあるという。Iさんは71歳ということで、電話で語る内容から類推しても、さほど重症には見えない。現在東京でも有名な山王病院を受診しており、使用されている薬剤も至極適切なものである。「わざわざ、鹿児島まで来られることはないですよ」と何度話してもゆずらない。とうとう「受診に鹿児島まで来られるというのでは私も気が重いので、竜馬の新婚旅行を辿る旧婚旅行のついでに立ち寄ってみたということではいかがですか」ということで承諾するハメになった。
当日、打ち合わせた日に、ちょっと遅れて来られた。昨日、空港でレンタカーを借りて桜島などを観光し、霧島のホテルに一泊、奥さんの運転で病院まで来られたということである。一見したところでは、ご主人は71歳には見えず若々しい感じである。一方、運転を担当されたという奥さんは63歳ということだが、まだまだ元気で活発な方のようである。
病状的にはいわゆる震えはなく、軽い筋強剛は認められ、パーキンソン病の初期と思われる。ただ歩行は前傾姿勢で、手の振りも悪く、パーキンソン病類縁疾患であることは間違いない。いわゆる外来日ではなかったので、ゆっくりといろいろなお話を伺うことができた。東京の新木場で代々、木材業を稼業にしてきて、親父さんが94歳まで現役で活躍されていたという。そして現在は世田谷に移り、木材の販売やビル管理なども手掛けている。「与謝野さんや平沼さんと同級生でした」ということで、高校は麻生高校、大学は慶応大学の法学部、まさに絵にかいたような慶応ボーイと見受けられた。
その後、Iさんとは私が国立病院機構の理事会に出席するときに、時々ご自宅まで足を延ばして簡単な診察と四方山話などしていた。とりわけ印象に残っているのは2013年の3月11日、あの東日本大震災の時に、院長協議会の開かれる目黒の雅叙園にご自宅から車で送ってもらっていたときに大地震に遭遇したのである。もうすぐ雅叙園だと思っていた時、午後2時46分、車が突然浮き上がるような衝撃を体全体で受けた。私は後部座席にいたが、今まで経験したことのない大きな揺れだった。「地震ですね」と思わず呟きながら前方を見つめると、ビルや電柱が横に揺れているのがよくわかる。そのうちに止むだろうと思ったが、なかなか止まず、すごく長い時間に思えた。これだけの揺れを東京で感じるということは、おそらく震源地の近くでは大変な被害が起きているだろうと直感した。車は前に進めず道路の中央で停止し、私は車から降ろしてもらった。周りには目立った被害はないが、人々が家から道路に飛び出している。荷物を引っ張りながら小走りに雅叙園へと向かい、3時過ぎには会場に到着できた。まさに古い「戦友」という思い出である。
さて7月31日の朝、田園都市線の桜新町駅まで迎えに来て下さるということで、渋谷駅に着いたのであるが、人身事故のために田園都市線が不通となっていた。やむを得ずタクシーで向かうことになったが、意外に近く25分ほどで世田谷のご自宅までつくことができた。数年ぶりに3階に上がると、完全にバリアフリーに改装され明るくなっている。
Iさんは車いすに腰掛けておられたが、顔の表情も穏やかで元気そうに見えた。ただ声を出すことはできず、ウーウーと大きな声を出し続けている。手を握ると握り返してくれるし、奥さんの質問には少し手を挙げて答えてくれる。今でも会社の重要な判断のときにはこの所作を利用しているという。
「奥さんが元気でしたら、今の療養環境は最高ですね」と、途中から加わった長男にも話すことだった。24時間、奥さん一人で介護され、介護保険は使わずに一週間に2回ほどリハビリと入浴の手伝いに来てくれる人がいる。そして夏は、一か月ほど北海道の病院に入院されるということである。「元気な時に、主人にはよくしてもらいましたから」という奥さんの頑張りと経済力があってできることである。
当時南九州病院で交換手をされていた野元さんから、「東京からお電話です」ということで、ピッチをとると電話の向こうから元気な女性の声である。「先生のパーキンソン病の本を読んで、主人が是非一度診てもらいたいというものですから」ということである。住所を聞くと東京の世田谷区で、国立病院機構本部のある駒沢とは比較的近い距離にあるという。Iさんは71歳ということで、電話で語る内容から類推しても、さほど重症には見えない。現在東京でも有名な山王病院を受診しており、使用されている薬剤も至極適切なものである。「わざわざ、鹿児島まで来られることはないですよ」と何度話してもゆずらない。とうとう「受診に鹿児島まで来られるというのでは私も気が重いので、竜馬の新婚旅行を辿る旧婚旅行のついでに立ち寄ってみたということではいかがですか」ということで承諾するハメになった。
当日、打ち合わせた日に、ちょっと遅れて来られた。昨日、空港でレンタカーを借りて桜島などを観光し、霧島のホテルに一泊、奥さんの運転で病院まで来られたということである。一見したところでは、ご主人は71歳には見えず若々しい感じである。一方、運転を担当されたという奥さんは63歳ということだが、まだまだ元気で活発な方のようである。
病状的にはいわゆる震えはなく、軽い筋強剛は認められ、パーキンソン病の初期と思われる。ただ歩行は前傾姿勢で、手の振りも悪く、パーキンソン病類縁疾患であることは間違いない。いわゆる外来日ではなかったので、ゆっくりといろいろなお話を伺うことができた。東京の新木場で代々、木材業を稼業にしてきて、親父さんが94歳まで現役で活躍されていたという。そして現在は世田谷に移り、木材の販売やビル管理なども手掛けている。「与謝野さんや平沼さんと同級生でした」ということで、高校は麻生高校、大学は慶応大学の法学部、まさに絵にかいたような慶応ボーイと見受けられた。
その後、Iさんとは私が国立病院機構の理事会に出席するときに、時々ご自宅まで足を延ばして簡単な診察と四方山話などしていた。とりわけ印象に残っているのは2013年の3月11日、あの東日本大震災の時に、院長協議会の開かれる目黒の雅叙園にご自宅から車で送ってもらっていたときに大地震に遭遇したのである。もうすぐ雅叙園だと思っていた時、午後2時46分、車が突然浮き上がるような衝撃を体全体で受けた。私は後部座席にいたが、今まで経験したことのない大きな揺れだった。「地震ですね」と思わず呟きながら前方を見つめると、ビルや電柱が横に揺れているのがよくわかる。そのうちに止むだろうと思ったが、なかなか止まず、すごく長い時間に思えた。これだけの揺れを東京で感じるということは、おそらく震源地の近くでは大変な被害が起きているだろうと直感した。車は前に進めず道路の中央で停止し、私は車から降ろしてもらった。周りには目立った被害はないが、人々が家から道路に飛び出している。荷物を引っ張りながら小走りに雅叙園へと向かい、3時過ぎには会場に到着できた。まさに古い「戦友」という思い出である。
さて7月31日の朝、田園都市線の桜新町駅まで迎えに来て下さるということで、渋谷駅に着いたのであるが、人身事故のために田園都市線が不通となっていた。やむを得ずタクシーで向かうことになったが、意外に近く25分ほどで世田谷のご自宅までつくことができた。数年ぶりに3階に上がると、完全にバリアフリーに改装され明るくなっている。
Iさんは車いすに腰掛けておられたが、顔の表情も穏やかで元気そうに見えた。ただ声を出すことはできず、ウーウーと大きな声を出し続けている。手を握ると握り返してくれるし、奥さんの質問には少し手を挙げて答えてくれる。今でも会社の重要な判断のときにはこの所作を利用しているという。
「奥さんが元気でしたら、今の療養環境は最高ですね」と、途中から加わった長男にも話すことだった。24時間、奥さん一人で介護され、介護保険は使わずに一週間に2回ほどリハビリと入浴の手伝いに来てくれる人がいる。そして夏は、一か月ほど北海道の病院に入院されるということである。「元気な時に、主人にはよくしてもらいましたから」という奥さんの頑張りと経済力があってできることである。
