Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

川井先生(国立病院機構東埼玉病院院長)の急逝(2016/09/26) 

9月23日(金)のお昼過ぎ、平成10年代に筋ジストロフィー研究班で幹事をしていただいていた河原先生から「川井先生が急逝されたらしい(後の情報では、くも膜下出血らしい)」という電話を受け取ったが、にわかには信じられなかった。研究班では私が班長で川井先生には運営幹事として、さまざまな局面でサポートしていただいた。
 また同日、南九州病院の臨床研究部長の園田先生からは次のようなメールを頂いた。
 川井先生の訃報、突然で驚きました。福永班を支え、ご自身でも川井班で私たちを叱咤激励され、確実に筋ジス医療に「克」を入れてくださった先生でした。班会議では、極めてお元気でしたので信じられない気持ちです。福永先生も同じお気持ちと拝察申し上げます。筋ジス医療にとっては大きな損失と思います。残念です。この気持ち、たまらず先生にお伝えしたくメールいたしました。(終)
 私は機構を退官して4年半ほどになるが、川井先生には筋ジス研究班をはじめとして神経内科協議会の会長も引き継いでいただき、心から感謝している。先生はいつも泰然自若・冷静沈着で、理路整然とした話しぶりからは大人の風格が感じられた。
 個人的な思い出として、私が突如神経学会理事選挙に出ることになり、運よく理事に当選できたのは、全ての点で川井先生のお蔭であった。
 2009年2月23日だったかと思う。川井先生から次のようなメールを頂いた。
 「ご出張のところ申し訳ありません。日本神経学会の理事の推薦依頼が評議員のところに届いております。今年は大学以外の病院所属候補から1名を選出する予定と書かれておりました。かねがね若手(とはいっても私や静岡の溝口先生、長崎の松尾先生など)の間でNHOの神経内科の代表に理事になっていただきたいという願いがありましたが、本日箱根の石原先生、刀根山の神野先生、鈴鹿の小長谷先生、宮城の木村先生ともお話をさせていただき、神経内科連絡協議会の会長である先生をみなさまで推薦したいという意見で一致いたしました。神経内科の診療の中で、一番つらい部分を私たちが受け持っているので、私たちの声を届けたいという気持ちをみなさんもっていると思います。私たちの声が少しでも届くようであれば、神経内科連絡協議会の活動も元気になってくると思います。先生にご承諾をいただこうとお電話したのですが、東京に出張中と伺い、取り急ぎメールを差し上げることにいたしました。なにとぞ願いを私どもの願いをお聞き届けくださいますようお願い申し上げます。先生のおゆるしが得られれば、NHOの評議員(70名以上います)に私と溝口先生、松尾先生の名前でお願いをするつもりです」というものである。
 ちょうどこの日、日本医療機能評価機構の医療事故対策運営委員会と厚労省の「終末期医療のあり方に関する懇談会」のヒアリング(参考人として)のために東京に出張していたのである。
 この理事選への出馬?は、私にとっては全くの想定外の出来事ということになる。そこで、いくつかの理由を並べて、「お気持ちは有り難いけど、本当に申し訳ありません」と電話で丁重にお断りした。恩師の井形先生から言われてきた「頼まれたことは断るなという教えも、時には致し方ないなあ」と思いながらも、ただ断った後には正直なところ爽快感はなかった。
 翌日24日のヒアリングはあいにく夕方5時からの開催となっており、一日を何をして過ごそうかなと思案していたとき、川井先生からのメールを思い出した。かねていつか機会があったら訪問してみたいと思っていた東埼玉病院に行ってみよう、東埼玉病院は石原先生の時代から筋ジス医療のメッカであり、また現在の院長である青木先生とは院長協議会などで懇意にしてもらっている。
 早速、川井先生から、「大崎駅で8時03分発の湘南新宿ラインに乗ると、9時前には蓮田駅に着きますので、迎えに参ります」というメールをもらった。電車の座席で車窓を流れる景色を追いながら、昨夜「断った」ことが気になっていた。川井先生も指摘されているように、神経難病医療を中心に国立病院機構(NHO)の神経内科の先生方が果たしている役割は大きいにもかかわらず、神経学会にはその「いろいろな苦労」が必ずしも反映されているとは言い難い。私が適任かどうかは別として、機構病院から誰か適当な人を理事として推薦した方がいいのではないかと考えた。現在、たまたま私が協議会の会長をしており、また「次世代へのつなぎ」という年齢的な巡り合わせから、「御輿に乗る」ことも必要な時かも知れないと考え始めた。元来、「選挙」なるものは苦手で、人に担がれなければ動きにくい愚図な性格であり、今回のようにNHOでは第三世代ともいうべき先生方に押される形で「出馬」することも、「天命」として有り難く受けるべきではないかと混乱した頭を整理しているうちに、一時間足らずで蓮田駅に着いた。
 病院では川井先生に隅々まで案内してもらい、病院の未来構想も熱っぽく語ってもらったことを覚えている。
 理事選挙では先生が先頭に立ってくださり、そして国立病院機構の神経内科協議会の先生方のお力により、無事当選を果たすことができた。
 先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。