Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「羽島」つながり(前)(2016/09/20) 

先日、鶴陵会会長の高松先生に電話で、来年度の鶴陵会会報に掲載する井形先生の追悼文を頼まれた。その後に郵送されてきた依頼文を見ると、締め切りは11月で、5000字以内となっている。実はこの依頼文が郵送された時には既に書き終えており、字数が6000字をちょっと超えていた。気の早いところは井形先生譲りともいえる。
 そこで編集委員長の牧野先生に字数の超過について了解をえたいと思って、電話することにした。先生には面識はなく、会員名簿から電話番号を探した。電話口から聞こえてくる口調から類推すると、気さくでおおらかな人柄が読み取れる。「字数は一応の目安ですので、1000字ほどの超過は構いません」ということで、あとは雑談となった。
 大学は57年卒で、元三内科だったら北島先生(南九州病院で2年ほど一緒に仕事をしたことがあるが、頑張り屋で現在は富山医科薬科大学の学部長だと聞いている)と同学年で、串木野市羽島でお父さんの内科医院を継いでおられるという。
 「羽島でしたら、南九州病院に入院していたまゆみさんやヒロシ君の古里だなあ」と話したら、「まゆみさんとは小学校は同級生で、一番を争った仲ですよ」と意外なことを言われる。確かにまゆみさんは賢く才媛であったが、南九州病院の筋ジス病棟を退院して、現在はヘルパーなどの支援を得ながら一人暮らしを続けている。お父さんは筋ジス協会や親の会の会長なども歴任、地元では漁協の役員などされていたが数年前に亡くなられた。
 ところで、南九州病院の玄関には「絆」と「つながる」という二幅の書が掛けられていた。「絆」は仙台市の佐藤さんから送られてきたもの(いつかその繋がりについてはあらためて書いてみたい)で、書道塾をされているだけあって端正な「絆」という太字が毛筆で書かれている。一方、「つながる」は、私の東京の友だち(医学系の出版社の編集者だったが現在は辞めている。福寿司繋がり)の鈴木さんが習い事で書かれたもので、うまいか下手なのかわからない芸術的な書体である。
 さてその「つながる」については、以前も触れたことがあった。
 南九州病院で働いていた頃、大学からポリクリの医学部学生が来たので、「一度診察すると生涯忘れない」と思われる筋強直性ジストロフィーの患者さんのミオトニアを診てもらった。生まれが羽島ということで羽島の大火に移ったとき、「ありゃ、あたい(私)が最初に気づいたんよ。串木野高校のときやった。火元は同級生の家でな」と、61歳男性患者さんから思いがけない言葉が発せられた。
 私は初対面の患者さんには生まれた場所を聞くことが多いが、この日も「家はどこな」と聞いたら、「羽島だ」という。「羽島というと、ヒロシの写真を思い出すなあ。焼け野原にぽつんと立っている写真だった。羽島で大火があって、その時の写真だということだったけど」と私が何気なく言った途端、すぐに反応(つながる)したのが冒頭の言葉である。