Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

私の東京物語(2016/09/15) 

今年の8月13日、城山観光ホテルで鶴丸高校第17期卒業50周年記念同窓会が開かれて、その時の資料が37ルーム幹事の平田君から送られてきた。私は当日、翌14日予定していた母の「偲ぶ会」に出席のために帰って来ていた家族や親族と食事会を企画していたので出席できなかった。送られてきた資料によると、112人の参加があったようである。
 資料の送られて来た日の翌日(8日)、東京の貴志さんから、福地享子さんの書かれた「私の東京物語」(東京新聞に10話シリーズで連載されたもの)がPDFで送られてきた。福地さんについては以前このランでも書いたことがあったが、私の高校時代の同級生であるが、東京新聞に書かれている「略歴」をそのまま紹介する。
 宮崎県生まれ。婦人画報社を経てフリーライター。築地市場の水産仲卸に勤務後、2010年から水産仲卸有志でつくる文化団体「築地魚市場銀鱗会」事務局長。今春「築地市場」出版。
 福地さんとの出会いは3回ほどで、最初は浅草の福寿司、そして有楽町の輝咲である。貴志さんの紹介によるものだったと思うが、当初は私の高校の後輩と言う「ふれこみ」だった。ところが話が弾んでいくうちに、なんと同級生だと分かってびっくりしたことがある。「女性は幾つになっても若くみられたいものです」とニコッと笑いながら弁解した。
 後で知ることになるが、彼女はちょっとした有名人で、たくさんの著書があり、またNHKの朝のラジオ番組、「すっぴん」の常連でもあった。数回、朝のラジオを聞いたことがあるが、当意即妙の受け答えで立派なタレントぶりにびっくりした。
 さて「私の東京物語」は中央に写真を挟んで、800字ほどの軽妙な書きぶりの上品なコラムである。それぞれのタイトルは、「ハヨザイ通り、銀鱗文庫、築地で働き始める、地獄か天国か、初秋刀魚、築地の雨、セリ場の午後、ゴム長闊歩地帯、屋号、築地市場への愛着」となっている。築地の豊洲への移転など、がぜん注目を浴びている場所であり、東京新聞もそのようなこともあって取り上げたのかもしれない。私自身、築地界隈は何度か歩いたことはあるが、市場の中に入ったことはないし、市場独特の人間模様などテレビなどで垣間見るだけである。東京新聞は鹿児島では読むことができないので、福地さんのコラムを、少し解説してみる。
 第1話の「ハヨザイ通り」は、正式名称の「もんぜき通り」を福地さんが勝手に命名したらしい。この通りは銀座から歩いて10分の築地4丁目交差点から市場へのアーケード通りで、行きかう市場の人の挨拶が「おはようございます」を手短につづめた言葉が「はよざい」なんだという。
 第3話「築地で働き始める」では、現在の銀鱗文庫の事務局長として働くようになった経緯について語っている。1998年にあるシェフに誘われて、水産仲卸の「濱長」を訪ねる。社長は翌月売りの魚の宣伝チラシを作ろうとシェフに相談したのである。「聞くと見るとは大違い」と、5か月後に濱長で実際に働き始めるところが、福地さんの偉い(変わった)ところ。そしてここで40過ぎから13年も働くことになる。
 まだまだ面白い話が続くのだが。