Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

五木寛之の「語りおろし全集」(5)(2016/09/09) 

(4)青い鳥のいくえ
 2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語で、ハッピーエンドの戯曲だと思っていたら、原作はそうではないらしい。
 作者のメーテルリンクはベルギー人で、フランス語を話す裕福なカトリック教徒の家庭に生まれた。青い鳥で、1911年にノーベル文学賞を受賞している。
 昔あるところにチルチル(兄)とミチル(妹)という貧しい二人の子どもがいた。クリスマスの前夜、二人の部屋に魔法使いのおばあさんがやってきて言う。「わたしの孫が、今、病気でな。しあわせの青い鳥を見つければ病気はなおるんじゃ。どうか二人で、青い鳥を見つけてきておくれ」。「うん、わかった」と二人は鳥カゴを持って、青い鳥を探しに旅に出る。はじめに行った国は『思い出の国』で、二人はこの国で死んだはずのおじいさんとおばあさんに出会う。「人は死んでも、みんなが心の中で思い出してくれたなら、いつでもあうことができるんだよ」とおじいさんは言った。そしてチルチルとミチルに、この国に青い鳥がいることを教えてくれる。ところが、『思い出の国』を出たとたん、青い鳥は黒い鳥に変わってしまいました。
 チルチルとミチルは、つぎに病気や戦争など、いやなものがいっぱいある『夜のごてん』に行く。ここにも青い鳥はいた。でも、つかまえて『夜のご殿』を出たとたん、青い鳥はみんな死んでしまう。それから二人は『ぜいたくのごてん』や、これから生まれてくる赤ちゃんがいる『未来の国』に行く。どこにも青い鳥はいたが、持ち帰ろうとするとみんなだめになってしまう。「さあ、起きなさい。今日はクリスマスですよ」。お母さんのよぶ声が聞こえた。目を覚ますと、二人は自分たちの部屋のベッドの中にいた。青い鳥を探す旅は終わった。チルチルとミチルは、とうとう青い鳥をつかまえることが出来なかった。
 でもチルチルとミチルが、ふと鳥カゴを見ると中に青い羽根が入っているではないか。「そうか、ぼくたちの飼っていたハトが、ほんとうの青い鳥だったんだ。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」。二人はお互いに顔を見合わせて、ニッコリした。魔法使いのおばあさんは二人にしあわせはすぐそばにあっても、なかなか気がつかないものだと教えてくれたのである。
 多くはここで終わるのだが、原作はシニカルで残酷な結末なのである。
 チルチルとミチルは、「青い鳥はここにいたんだ!」と喜ぶ。タイミング良くやって来た足の悪いお隣さんに青い鳥を抱かせてみたら、なんと本当に足が治ってしまった。ふたりはますます興奮して、この青い鳥には何を食べさせようかと鳥の取り合いを始める。すると……青い鳥はその隙をついて、空高く遠く遠く飛び去ってしまったのです。
 最後のシーンでチルチルが舞台から客席に向かって、ショボショボと呟く。「誰か、あの鳥を見つけて、僕たちのところへ返してください。僕たちが幸せに暮らすためには、あの青い鳥が必要なのです。」 観客の心に一抹の違和感が浮かんだところで、サーッと幕が引かれる。
 五木は作家として職業意識からも、メーテルリンクのメッセージ(子どもたちに伝えたかったこと)をあれこれ想像している。最初に考えたことは「青い鳥というような、それさえつかめばあとのことは全部うまくいくものは世の中にはない、ということを子どもたちに教えたかったのかな。たとえばお金や学歴やキャリアですが、これさえつかめばあとは全部うまくいくというわけにはいきません。そのことを教えているのかと思いましたが、それでもやはり納得のいかないところがあります。また人生というものは喜びや夢といった美しい言葉に飾られているだけではなくて、悲しいものなんだよということを伝えたかったのかとも思いましたが、いやそれも違うと思います。・・・」
 「・・・地方の村に住む少女が、あこがれて都会に出てきたものの、生活に疲れてふるさとに帰る。ふるさとでつつましい生活を続けるうちにやがて『ああ、ここに人生の真実があったんだな』と気づく・・・そういう物語かとも思いましたが、最後はそうではありません。ここに自分の幸せがあるんだなと気づいた瞬間、思いがけない公害が現れ、地域は荒廃して家族は離散するというふうに、青い鳥はたちまち飛んで行ってしまいます。
 こうなると、私にとってメーテルリンクが考えたことは永遠の謎です。謎ですが、何か語らなければならない大事なことを、メーテルリンクが語っている、という感じだけは伝わってきます」(終)
 私は個人的にはメーテルリンクは子どもたちに、日々の努力の重要さや物事は簡単に成就されるものではないこと、安直さの脆弱性を教えたかったのではないだろうかと思う。人間は誰しも安易な方法を選択しがちであるが、本当に大事なものは魔法のように得られるものではない。