Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

五木寛之の「語りおろし全集」(4)(2016/09/08) 

(3)濁りきった世間をどう生きるか
 この話は有名で、漢文の教科書にも載っていた。
 古代乱世の中国に屈原という大変能力の高い人物がいた。屈原のすぐれた手腕と一徹すぎるような正義感、見事に清廉潔白に身を持そうとする生き方が、俗世間の周りの連中の反発を買う。大声で自分の身の不運を嘆く屈原に、舟をこぎながら一人の漁師が近づいてくる。
 「今の世間は濁りきっている・・・」という屈原。
 それ以外の道は考えなかったのかという漁師の問いに「妥協するくらいなら、川に身を投じて魚のえさになるほうがよっぽどましだ」という屈原に、かすかに微笑むと歌を歌いながら水の上を去っていく。
 「滄浪(そうろう)の水澄まば、もってわがえい(冠の紐)を洗うべし。滄浪の水濁らば、もってわが足を洗うべし」(滄浪の川の水が清らかに澄んだときは自分の冠の紐でも洗えばよい、しかしもし黄色く濁ったときには自分の足でも洗えばよいではないか)(終)
 処世術として「清濁併せ飲む」という言葉があるように、古今東西、清廉の志だけではこの世を生きていけない。特に政治の世界では、そうでなければ大成しないと日本でもよく言われてきた。ただこれも程度問題で、金に汚い政治家には、いくら有能でも国の将来を任したくない。政治家だけでなく、医療の世界にもいろいろなタイプの医師がおり、さまざまな金にまつわる風評が耳に入ってくる。
 先日、鹿児島県のOBで部長職も歴任されたNさんと話をする機会があった。「井形先生は21年間も屋久島環境文化財団の理事長職にありましたが、報酬は受け取られなかったです。そんな人は鹿児島県では、稲盛さんと二人だそうですよ」と言われていた。
 先生はおおらかな性格で、細かなことに拘泥されることはなかったが、金に綺麗だったところも「品格」というものだったのだろうと思うことである。