五木寛之の「語りおろし全集」(3)(2016/09/07)
(2)「面授」ということの大切さ
佐伯定胤さんは法隆寺の名僧として有名な方だが、その講義に地方から参加している青年がいた。ところがこの青年は襟を正してその講義を聴きつづけたが、あまりにも難解でどうしてもついていけなかった。青年は思いを決して「自分は一生懸命自分なりに努力して先生の話を聞いてまいりましたが、ほとんど理解できませんでした。学問の才がないと思いますので田舎に帰ります・・・」と佐伯さんに別れの挨拶に行った。
すると佐伯さんは「千日聞き流しせよ」と言われた。佐伯さんが言いたかったことは「自分が一生懸命仏教の学問を講じているのは、知識や論理を伝えたいからではない。むしろ自分が心に抱いている大事なもの、そういうものへの情熱が、私の言葉からあなたの皮膚の毛穴を通じてそちらに染み込んでいくことこそ、私が期待していることなのだ」とおっしゃりたかったことではないでしょうか。「面授」ということです。(終)
私は浅学で、この「面授」という言葉を知らなかった。調べてみると仏教用語のようで、「教えを、対面して直接に授かる」と言う意味のようである。
面授というのは、人間と人間が向き合って、表情や身振り手振りを加え、肉声で、口から唾を飛ばすような口調で語る中で伝わるもので、ライブでしか伝わってこないものを言うのだそうである。
以前、川涯先生の講演で「写瓶(しゃびん)」という言葉を聞いたことがあったが、面授と似たような意味ではないかと思う。川涯先生の師である岡野弘彦は、三重の山村にある南北朝時代から続く神主の家に生まれたが、昭和20年に國學院大學で折口信夫(しのぶ)と運命的な出会いを果たす。そして折口の家に内弟子として8年間も生活を共にし、口述筆記という手法で、文字通り折口の全てを徹底的に吸収したのだという。
その手法は「写瓶(しゃびん)」というもので、瓶から瓶に水を移し替えるときに一滴も漏らさず移し替えるという「感染教育」だったという。(折口信夫は希代の民俗学者、国文学者、そして歌人としてあまりにも有名である)。
教育方法の一つに徒弟制度というものがある。弟子をひとり立ちさせる親方の教え方の流儀で、「物から学ぶ」「見て覚える」ということが基本となっている。親方が直接弟子に教えること自体は少なく、親方はその目や耳で弟子のすべてを把握する。親方はひとり立ちするために必要である技術や心構え、環境など一通りを把握し、仕事を弟子に任せる。弟子が向上心を持って親方の仕事を見ているかどうか、分からないところをきちんと聞いているか、細かく見ながら親方は弟子を育てていく。 いずれの教育のやり方も、教育を受ける方の心構え次第ということになる。
佐伯定胤さんは法隆寺の名僧として有名な方だが、その講義に地方から参加している青年がいた。ところがこの青年は襟を正してその講義を聴きつづけたが、あまりにも難解でどうしてもついていけなかった。青年は思いを決して「自分は一生懸命自分なりに努力して先生の話を聞いてまいりましたが、ほとんど理解できませんでした。学問の才がないと思いますので田舎に帰ります・・・」と佐伯さんに別れの挨拶に行った。
すると佐伯さんは「千日聞き流しせよ」と言われた。佐伯さんが言いたかったことは「自分が一生懸命仏教の学問を講じているのは、知識や論理を伝えたいからではない。むしろ自分が心に抱いている大事なもの、そういうものへの情熱が、私の言葉からあなたの皮膚の毛穴を通じてそちらに染み込んでいくことこそ、私が期待していることなのだ」とおっしゃりたかったことではないでしょうか。「面授」ということです。(終)
私は浅学で、この「面授」という言葉を知らなかった。調べてみると仏教用語のようで、「教えを、対面して直接に授かる」と言う意味のようである。
面授というのは、人間と人間が向き合って、表情や身振り手振りを加え、肉声で、口から唾を飛ばすような口調で語る中で伝わるもので、ライブでしか伝わってこないものを言うのだそうである。
以前、川涯先生の講演で「写瓶(しゃびん)」という言葉を聞いたことがあったが、面授と似たような意味ではないかと思う。川涯先生の師である岡野弘彦は、三重の山村にある南北朝時代から続く神主の家に生まれたが、昭和20年に國學院大學で折口信夫(しのぶ)と運命的な出会いを果たす。そして折口の家に内弟子として8年間も生活を共にし、口述筆記という手法で、文字通り折口の全てを徹底的に吸収したのだという。
その手法は「写瓶(しゃびん)」というもので、瓶から瓶に水を移し替えるときに一滴も漏らさず移し替えるという「感染教育」だったという。(折口信夫は希代の民俗学者、国文学者、そして歌人としてあまりにも有名である)。
教育方法の一つに徒弟制度というものがある。弟子をひとり立ちさせる親方の教え方の流儀で、「物から学ぶ」「見て覚える」ということが基本となっている。親方が直接弟子に教えること自体は少なく、親方はその目や耳で弟子のすべてを把握する。親方はひとり立ちするために必要である技術や心構え、環境など一通りを把握し、仕事を弟子に任せる。弟子が向上心を持って親方の仕事を見ているかどうか、分からないところをきちんと聞いているか、細かく見ながら親方は弟子を育てていく。 いずれの教育のやり方も、教育を受ける方の心構え次第ということになる。
