Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

死ぬとき最も輝きたい(2016/10/28) 

「余生という言葉が嫌いです。死ぬときには青春の真っ直中で死にたい。死ぬときが最も輝いているというのが理想です」と言われた言葉が今も耳に残っている。自分がだんだんその歳に近づいてくると、「余生」をどのように過ごしたらいいのか、先人の生き方も参考にしたいものである。
 ネットで調べると、「谷口巳三郎先生は2011年12月31日未明、タイ国パヤオ県で21世紀農場を営んでいたが、享年88歳で他界された」という。先生は亡くなる直前まで元気に指導をしており、前日の12月30日に、農場関係者の結婚式に出席。約400キロの山道を車で往復したため、帰宅後は「少し疲れた。休みたい」と部屋に戻り翌朝、亡くなっていたという
 私が先生に溝辺町のM先生宅で、最初で最後にお会いしたのは86歳の時だったから、2009年ということになる。世俗的にはさほど目立つことなく、高い志の仕事をしている人がおられるものだが、まさにそんな人の一人で、こんなにも情熱的に人生を語ることのできる人に久しぶりに出会った。「耳も、目もまだ大丈夫」と豪語される風格からは、写真で見るあのインドのガンジーをも彷彿させる精悍さと気迫がみなぎっていた。
 この日の模様を、私は次のように綴っている。
 A先生の在宅医療に同行してMさん宅を訪問したとき、見知らぬ方が座っておられた。紹介されたのが谷口巳三郎先生。戦前に鹿児島大学農学部在学中に学徒出陣、1983年、59歳のとき、退職金(前年に熊本県立農業大学校を定年退官)と農業の専門書など20キロの荷物を持ってタイのバンコク空港に降り立ったという。目的は発展途上国の農業技術指導と農村青少年の教育に余生を捧げたいとの思いからである。
 以降二十数年間、協力する公的組織もなく力の限りを捧げ、「21世紀農場」を創設し、タイ国立大学などから名誉博士号なども授与されている。先生がいかに地域に溶け込まれているかは、近隣の農家の人たちから「アチャン(先生というタイ語の敬称)、身体をもっと大事にして私たちを心身ともに支えて下さい。長生きして下さい」というメッセージにもよく表れている。
 「日本という島国は、世界一住み心地のいい国です。そのため日本全体がフニャフニャになり隙間だらけで、生きるための厳しさに欠けたところがあります。若者は遊ぶことに熱心で、汗を流して働こうとしません。熱帯は自然条件が厳しいので、植物も動物も生易しいものは一つもありません」。そして「自ら何かしようと思って飛び込んできたのだから、いつまでも日本に居た頃を懐かしがり、ここに馴染むことを拒否しては何も生まれない。厳しい自然と貧困にあえぐ社会をそのままとらえてみれば、自ずからの生活にゆとりが生じ、幸せ感も持てるようになります。日本もタイも他の世界の国々も、小さな地球の上にあるのですから」と語る。「先生はなぜこれほどまでに、個人で他国の援助をされようと思われたのですか」という問いかけには、「そこに困っている人がいれば、そこに苦しんでいる人がいれば、そこに助けを求める人がいれば、我々は助けなければならないというだけです」と素っ気ない。
 先生の決意の底には、学徒動員で特攻隊に選ばれながら自分だけが出撃の機会がなく、終戦を迎えたことなどの痛ましい戦争体験があるようである。