Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

国立名誉院長会(2016/10/20) 

今年もまた、黄色い表紙の「燦」という小冊子が届いた。国立名誉院長会から年に一回発行されているもので、理事会や総会の議事録や決算報告と共に毎年「近況報告」なるものが掲載されている。私はいままで一度も「寄稿」したことはなかったが、15年間も院長職にあったので「近況報告」には懐かしい名前の人も多く、「そういう生き方もあったのか」などと考えながら楽しく、時にはしんみりと読んでいる。
 前年の10月ごろに募集して約一年遅れの発刊になるので、例えば今年の8月に亡くなられた井形先生の寄稿された小文も読むことができる。タイトルは「健やかに生きる」で、「われわれは最期の日まで日々感謝しつつ、今から健康づくりに努力し健やかさを保つことを責務と考えるべきだろう」と結んでおられる。
 ちなみに昨年は、「死を越えて前向きに考えるためには以下のようなことを提案したい」と述べておられた。
 1) 安らかな死は可能である。
 2) 死ねばあの世で懐かしい人々に再会できる。
 3) この世では自分のことをいつまでも覚えてくれる。
 4) 天国は存在し、そこに行ける。
いかにも先生らしい表現であり、あの世で奥様をはじめ多くの個人と再会されておられるようで、あらためてご冥福をお祈りしたい。
 また三重病院の庵原俊昭先生が、今年の2月に66歳で亡くなられているのには驚いた。感染症やワクチンの研究の第一人者で、新型インフルエンザワクチンの有効性などを調べる中心的な役割を担った。厚生科学審議会でもずっと一緒だったし、また平成22年には、第23回人事院総裁賞(個人部門)を授与されている。
 なかでももっとも心を打たれたのは、「もう一つの人生」(佐柳進:関門医療センター)という小文である。先生は厚労省の役人から院長に転身された人で、院長協議会の理事会でもずっと一緒だった。
 出産中の娘さんに起きた異変で、「まるで富士山の絶頂から、一瞬にして日本海溝まで滑り落ちたような出来事」と書かれている。
 「35年間の公務員生活を終えて、気楽な余生しか脳裏に描いていなかった昨夏までは思いもしなかったもう一つの人生が始まっている」という書き出しである。里帰り分娩で帰省されていた娘さんが出産のさなか、「右内頚動脈の脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で、グレード5の最悪の状態から、緊急の帝王切開、脳動脈瘤コイル塞栓術、脳内血腫除去術、LPシャントと次々実施され、浜村明徳氏の小倉リハビリテーション病院で、丸々6か月間の回復期リハビリを受けた。ADLは驚異的に回復し、今は私の自宅で1歳になった愛息を引き取り起居を共にしている」という。娘さんには高次機能障害が後遺し、即時のエピソード記憶が残らないので瞬時を生きることを余儀なくされているという。
 「ICU室に収容された娘を前に号泣し、人にはこれほどの深い悲しみがあることをはじめて知った」や、「小倉リハへの転送の搬送車の中で、暴れまわる娘の手足を抱きかかえながら絶望的な家人の孤独を知った」という表現には、私も同じような経験をしたので他人事には思えないものがあった。でも身内のことをこれほど詳しく書かれた先生には頭が下がる。娘さんの後遺が少しずつでも快方に向かうことをお祈りしたい。