Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

最期はどのように(前)(2016/10/13) 

机の中を整理していると一通の手紙が出てきた。もうずいぶん前のもので、この方はすでに亡くなられている。読み返してみると、現代の世相を反映して重たいものがあった。
 差出人は86歳の女性、鹿児島市のマンションで一人暮らしである。要件は「身の振り方を真剣に考えている最中です。弱り切ってからでは遅いので今から決めておきたいのです。先生の病院(南九州病院)で、こういう独り者の最期を受け入れてくださる方法があるのでしょうか・・・」というようなものだった。
 この女性とは、平成7年に南日本新聞の夕刊で「思うこと」欄を担当したとき(月曜日から金曜日まで、5人の筆者が都合10回ずつ担当する)のメンバーの一人としてお付き合いが始まった。他の3人のメンバーの名前は全く思い出せないのだが、この女性は筋ジスの患者さんとの付き合いがあったためだろう。しばらくの間当院の筋ジス病棟に歌や絵の仲間たちとボランティアで訪問されたり、また鹿児島市で「俳句と書の展覧会」などを開催され、その義捐金を寄付してくれたこともあった。
 お手紙によると、2年ほど前に乳がんの手術をされてお便りすることもままならなかったことを詫びている。以前にもお聞きしたことだが、昭和51年に大阪大学病院で働いていた医師の一人息子が急逝され、翌年にはご主人にも先立たれて、独り身であることなど書かれていた。ただ現在は健康には問題はなく、34、5人の教室を主宰して、俳画や墨彩画を教えているという。
 相談の内容は、入院のための資格、要件、入院時とその後の費用、あらかじめ予約ができるかどうか教えて欲しいというものだった。
 考えてみれば、日本全体としても超高齢化社会への青写真が描けず、年金や高齢者医療など大きな問題を抱えている。また個人のレベルでも、この女性のように独居者や病気になったときの身の振り方など大きな不安を抱えて暮らしている人が多い。かくいう私もどのような老後になるのか、どこでどのように最期を迎えることになるか、全く見当もつかない。いろいろな条件があり、また状況も変わるので予測できない部分も多い。
 「可能なら住み慣れた自分の家で、最期を送りたい」と考えるのが普通だが、これがなかなか簡単なようで難しいことである。まず介護力が確保できるのかということ、そして医療的な処置を必要とするようになったらどうするかということである。
 次善の策としては施設入所や老健施設等も選択肢の一つに挙げられるが、我々の団塊の世代が後期高齢者を迎える時代には、いわゆるこのような「ハコモノ」と呼ばれる施設は大変