彼岸花と田中直子(2016/10/04)
私の部屋の入り口の花瓶にもコスモスが活けられているが、秋を代表する花といえばコスモスと彼岸花を思い浮かべるだろう。街中では彼岸花を目にすることは少ないが、先日新山口への往復で利用した新幹線の車窓からは色とりどりの彼岸花を観ることができた。村里では休耕地になった田んぼの畦道に彼岸花を植えているというテレビの報道もあった。そういえば半世紀以上昔のことを思い出すと、私の育った田舎でも、この季節になると畦道や墓の周囲に赤く燃えるような彼岸花が咲き乱れていたものである。球根に毒性のあるアルカロイドが含まれているため、昔の人は動物が墓を荒らさないようにと植えたという。
彼岸花というと、夭逝した歌人、田中直子のことを思い出す。
私が2004年に発行した「病む人に学ぶ」という本の中に、直子の歌を紹介しながら、彼岸花について書いたことがあった。
ひつそりとひとりを思う秋めぐり 白き彼岸花日陰に咲けり
この歌は2000年7月に、川涯利雄先生の編集で華叢書第五篇として刊行された「淡き月光(げつくわう)」のなかの一首である。直子はこの年の1月5日に39歳という若さで南九州病院の筋ジストロフィー病棟で急逝したので、残念ながら歌集の刊行に間に合わなかった。
直子は師であった川涯先生がその才能をもっとも評価していたが、歌に親しむようになった経緯については自ら「後記に代えて」に書いている。
私が、姶良郡加治木町にあります国立南九州病院の筋ジス病棟に入院して20年ほどがたちます。それ以前は他の病院に七年入院していましたので、私の人生の大半は病棟で過ごしていることになります。病院ではありますが、私にとって病棟は生活の場であり、もう一つの家のようなものになりました。・・・
この時39歳ということは、南九州病院に入院したのは二十歳前後で、前の病院に中学を卒業して入院したことになる。縁とは奇なるもので、私の従兄は学校の先生をしていたが、枕崎の小学校に勤めていたときに、直子の担任だったと懐かしそうに話したことがあった。
直子が作歌を始めたのは、「十年ほど前に生涯学習県民大学の中で、軽い気持ちで受けた短歌が大きな出会いになったように思います。高等部を卒業してからそれまで何一つ成すことがなく、病棟での生活も目標のない状態でしたので、初めての歌会の時は久しぶりの授業を受けるような緊張感で身が引き締まる思いがしたものです・・・」と書いている。その後「華」の同人になり、「Viewの会」へと繋がっていくのである。
そして最後に、次のようなメッセージで結んでいる。
高齢化していく社会の中で、高齢者の方が家族と安心して暮らせるように、ハンディを持つ人々が町で生き生きと暮らせるように、子供たちが希望を持って未来を描けるように、ささやかな力ではありますが「Viewの会」も新たな目標を掲げ一歩一歩あゆんで参りたいと思います。
彼岸花というと、夭逝した歌人、田中直子のことを思い出す。
私が2004年に発行した「病む人に学ぶ」という本の中に、直子の歌を紹介しながら、彼岸花について書いたことがあった。
ひつそりとひとりを思う秋めぐり 白き彼岸花日陰に咲けり
この歌は2000年7月に、川涯利雄先生の編集で華叢書第五篇として刊行された「淡き月光(げつくわう)」のなかの一首である。直子はこの年の1月5日に39歳という若さで南九州病院の筋ジストロフィー病棟で急逝したので、残念ながら歌集の刊行に間に合わなかった。
直子は師であった川涯先生がその才能をもっとも評価していたが、歌に親しむようになった経緯については自ら「後記に代えて」に書いている。
私が、姶良郡加治木町にあります国立南九州病院の筋ジス病棟に入院して20年ほどがたちます。それ以前は他の病院に七年入院していましたので、私の人生の大半は病棟で過ごしていることになります。病院ではありますが、私にとって病棟は生活の場であり、もう一つの家のようなものになりました。・・・
この時39歳ということは、南九州病院に入院したのは二十歳前後で、前の病院に中学を卒業して入院したことになる。縁とは奇なるもので、私の従兄は学校の先生をしていたが、枕崎の小学校に勤めていたときに、直子の担任だったと懐かしそうに話したことがあった。
直子が作歌を始めたのは、「十年ほど前に生涯学習県民大学の中で、軽い気持ちで受けた短歌が大きな出会いになったように思います。高等部を卒業してからそれまで何一つ成すことがなく、病棟での生活も目標のない状態でしたので、初めての歌会の時は久しぶりの授業を受けるような緊張感で身が引き締まる思いがしたものです・・・」と書いている。その後「華」の同人になり、「Viewの会」へと繋がっていくのである。
そして最後に、次のようなメッセージで結んでいる。
高齢化していく社会の中で、高齢者の方が家族と安心して暮らせるように、ハンディを持つ人々が町で生き生きと暮らせるように、子供たちが希望を持って未来を描けるように、ささやかな力ではありますが「Viewの会」も新たな目標を掲げ一歩一歩あゆんで参りたいと思います。
