難病ネットワーク学会 in 名古屋(後)(2016/11/30)
今年の意見交換会は学会場の近くのキャッスルプラザで開催された。犬塚会長の挨拶の後、恩田聖敬(さとし)(38)さんが音声ソフトとipadによるスライドを使いて講演された。恩田さんのことは以前、テレビでも放映されたことがあったので少し記憶に残っていたが、直にお見受けするのは初めてである。
1978年生まれで、7歳と5歳の子どもがいるお父さんでもある。岐阜県で生まれ、育って、京都大学大学院(航空宇宙工学専攻)を卒業。複数のアミューズメント会社にて、現場、企画、経営管理に携わったのち、2014年4月に Jリーグ・FC岐阜の運営会社である株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役に就任する。「大好きな故郷をサッカーで盛り上げたい」と精力的に仕事に取り組み、ホーム戦では必ず自らサポーターのお出迎え、お見送りを行なうなど、現場に密着した活動を何より愛し、たくさんの人に親しまれ愛される社長だったという。
ところがFC岐阜の社長に就任される前年頃から、手足の筋力低下を自覚するようになりALSと診断される。社長を辞任後は「今後も働いて社会の役に立ちたい」と、ALS患者としての経験を生かしながら講演や執筆活動などを通じて、障害者やその家族が暮らしやすい社会を実現するためにさまざまな提案をされている。現在は車いすでの生活で、人工呼吸器を付ける寸前まで進行したという。
人格的にも能力的にも申し分なく、いいお父さんで、いい家庭人の典型的な男性だとお見受けしたが、どうしてこのような人に神様は厳しい試練を与えるのだろうと思うことである。
講演は恩田さん自身が壇上に車いすに座ってスライドを流しながら、自らは声を出せないので音声ソフトを使って、まず「自分がALSになったとき、どういう状況なのか想像してみてください」と切り出された。「想像以上にこういう病気は、本人だけでなく周りの家族がどれだけしんどいか、目の当たりにしましたと始める。そしていくつかの例を示されたが、「たとえ蚊に刺されても自分で追い払えない」「自分の可愛い子どもたちを抱きしめられない」等々、病気になった人にしかわからない辛さの具体的な事例を話される。
最後に「自分の価値観を大切にしながら、自分のやりたいことをやる、自分が楽しいと思うことをやる。困ったら、周りのひとに力を貸してほしいと頼んでみて、サポートをしてもらおう」などと話されていた。
翌日のシンポジウムの合間に前田君(南九州病院のケースワーカー)とロビーに出て椅子に座って話をしていると、向こうから女性がつかつかと近寄ってきて、「福永先生ですね」と声をかけられた。「誰だったかな」と思いながら必至に思い出そうとするが、思い出せない。「2年前の学会の時にお会いして、三重県つながりで親しく話をしてもらえました。そしたら本を送ってくださると言うことで・・・」「送りましたかね、安請負することが多いもんですから」と言うと、「すぐに送ってもらいました」と聞いてホッとする。まだ思い出せないでいると名刺を渡された。三重県伊賀市にある社会医療法人「畿内会」の訪問看護ステーションの看護師で小川さんだった。名刺には小川の下に小さな字で「おがわ」と書き加えられていたので、「おがわ以外に、他に読み方がありますかね」などと、つまらないコメントを入れる。このあたりから、2年前のやり取りが、おぼろげながら思い出されてくる。
「先生の本で紹介されていた井土先生のもとで働いていたこともあるのですよ」と言われる。井土先生は私のパーキンソン病の本を読まれたことが縁で、亡くなるまで親交の続いた素晴らしい文化人で、そして血液内科の専門医だった人である。しばらく話が続いた後、「先生におあげしようと思って、伊賀の珍しい酒を持ってきましたので、お荷物になるかも知れませんが味わってください」と清酒の小瓶を渡された(ところがこの清酒、バッグに入れたはずだが、鹿児島に帰ってからバッグを開けると見つからない。どこで紛失したのか定かではない)。「伊賀の里というと、面白そうだから、機会があったら呼んでください」などと言いながら別れた。
来年のこの学会は金沢市で開催予定で、特別講演を頼まれている。人と人との縁はいろいろなところから発展していくものである。
1978年生まれで、7歳と5歳の子どもがいるお父さんでもある。岐阜県で生まれ、育って、京都大学大学院(航空宇宙工学専攻)を卒業。複数のアミューズメント会社にて、現場、企画、経営管理に携わったのち、2014年4月に Jリーグ・FC岐阜の運営会社である株式会社岐阜フットボールクラブの代表取締役に就任する。「大好きな故郷をサッカーで盛り上げたい」と精力的に仕事に取り組み、ホーム戦では必ず自らサポーターのお出迎え、お見送りを行なうなど、現場に密着した活動を何より愛し、たくさんの人に親しまれ愛される社長だったという。
ところがFC岐阜の社長に就任される前年頃から、手足の筋力低下を自覚するようになりALSと診断される。社長を辞任後は「今後も働いて社会の役に立ちたい」と、ALS患者としての経験を生かしながら講演や執筆活動などを通じて、障害者やその家族が暮らしやすい社会を実現するためにさまざまな提案をされている。現在は車いすでの生活で、人工呼吸器を付ける寸前まで進行したという。
人格的にも能力的にも申し分なく、いいお父さんで、いい家庭人の典型的な男性だとお見受けしたが、どうしてこのような人に神様は厳しい試練を与えるのだろうと思うことである。
講演は恩田さん自身が壇上に車いすに座ってスライドを流しながら、自らは声を出せないので音声ソフトを使って、まず「自分がALSになったとき、どういう状況なのか想像してみてください」と切り出された。「想像以上にこういう病気は、本人だけでなく周りの家族がどれだけしんどいか、目の当たりにしましたと始める。そしていくつかの例を示されたが、「たとえ蚊に刺されても自分で追い払えない」「自分の可愛い子どもたちを抱きしめられない」等々、病気になった人にしかわからない辛さの具体的な事例を話される。
最後に「自分の価値観を大切にしながら、自分のやりたいことをやる、自分が楽しいと思うことをやる。困ったら、周りのひとに力を貸してほしいと頼んでみて、サポートをしてもらおう」などと話されていた。
翌日のシンポジウムの合間に前田君(南九州病院のケースワーカー)とロビーに出て椅子に座って話をしていると、向こうから女性がつかつかと近寄ってきて、「福永先生ですね」と声をかけられた。「誰だったかな」と思いながら必至に思い出そうとするが、思い出せない。「2年前の学会の時にお会いして、三重県つながりで親しく話をしてもらえました。そしたら本を送ってくださると言うことで・・・」「送りましたかね、安請負することが多いもんですから」と言うと、「すぐに送ってもらいました」と聞いてホッとする。まだ思い出せないでいると名刺を渡された。三重県伊賀市にある社会医療法人「畿内会」の訪問看護ステーションの看護師で小川さんだった。名刺には小川の下に小さな字で「おがわ」と書き加えられていたので、「おがわ以外に、他に読み方がありますかね」などと、つまらないコメントを入れる。このあたりから、2年前のやり取りが、おぼろげながら思い出されてくる。
「先生の本で紹介されていた井土先生のもとで働いていたこともあるのですよ」と言われる。井土先生は私のパーキンソン病の本を読まれたことが縁で、亡くなるまで親交の続いた素晴らしい文化人で、そして血液内科の専門医だった人である。しばらく話が続いた後、「先生におあげしようと思って、伊賀の珍しい酒を持ってきましたので、お荷物になるかも知れませんが味わってください」と清酒の小瓶を渡された(ところがこの清酒、バッグに入れたはずだが、鹿児島に帰ってからバッグを開けると見つからない。どこで紛失したのか定かではない)。「伊賀の里というと、面白そうだから、機会があったら呼んでください」などと言いながら別れた。
来年のこの学会は金沢市で開催予定で、特別講演を頼まれている。人と人との縁はいろいろなところから発展していくものである。
