難病ネットワーク学会 in 名古屋(前)(2016/11/28)
19日の夕方、学会場から中部国際空港に少し早く着いたので、セントレアエアラインのラウンジでこの項を書き始めている。多くの空港ではANAとJALのラウンジは別々だが、さすがに効率化を重んじるトヨタのおひざ元、この空港では共用となっている。このラウンジは、井形先生と何度もご一緒させていただいた懐かしい場所である。搭乗する飛行機は異なることが多かったが、出発するまで間、楽しく四方山話をしたものである。そうはいっても、私自身は先生との会話ではくつろいで気安くお話しできない雰囲気をいつも感じていた。井形先生のように気さくな先生でも、恩師というものはちょっと敷居の高い、そのような存在だろうか。
今日はお墓参りができて、本当に亡くなられたのだという実感が少し現実のものとなった。5月の神戸での神経学会では、たまたまお会いするチャンスがなかったので、今年の1月30日の旧第三内科の開講記念会が最期ということになる。人間、先々のことはだれもわからないので、会える時にはお会いしておいた方がいい、とあらためて思うことである。
第4回日本難病医療ネットワーク学会が名古屋市で開催されることになり、11月18日、10時5分発のANA機で中部国際空港に向けて出発した。この学会は第2回大会を私が会長で鹿児島市で開催したことや、特別講演(荻野先生の神経難病の緩和ケアについての講演)の座長を頼まれたこともあって出席することにした。そして学会に出席する前に、井形先生と奥様の眠られている高徳院に参拝しようと考えていた。高徳院への参拝は、今回で三回目ということになる。
いつものように病院での朝の日常を済ませて、8時前に病院を出発、高速道路に乗るか迷ったが、通い慣れた国道10号線を通るルートを選んだ。竜ヶ水と大崎鼻の間の4車線化工事が完了して、鹿児島から重富までは高速道路と変わらない車の流れである。9時頃に空港に到着、今日一緒にお参りに付き合ってくれるTさんへのお土産をあれこれと選んだ。豚の角煮、薩摩揚げ、下駄ん端、ゆず、唐芋レアケーキ・・・などなど。
名古屋国際空港には定刻の11時20分に到着、あらかじめ路線図でチェックした通りに事が進んで、12時24分には中京競馬場前駅に着くことができた。改札を出ると、こちらも打ち合わせ通りに、Tさんがお参り用のお花を用意して待ってくれていた。
Tさんは名古屋市のある老健施設の管理栄養士であるが、2008年に「井形先生を囲むグルメの会」を開催して以来の井形先生とのお付き合いで、私とは納先生の退官記念パーティー以来ということになる。このグルメの会は、Tさんの恩師の教授や栄養を担当している人たちなどが集まって、井形先生やいろいろな先生(納先生もそのお一人)の話を聞きながら美味しく食事する会ということで数年間続いたそうだが、さまざまな事情でその後立ち消えになったらしい。「先生もそのうちにお呼びする予定でしたのに・・・」と少し残念がってくれていた。
今日はお墓参りができて、本当に亡くなられたのだという実感が少し現実のものとなった。5月の神戸での神経学会では、たまたまお会いするチャンスがなかったので、今年の1月30日の旧第三内科の開講記念会が最期ということになる。人間、先々のことはだれもわからないので、会える時にはお会いしておいた方がいい、とあらためて思うことである。
第4回日本難病医療ネットワーク学会が名古屋市で開催されることになり、11月18日、10時5分発のANA機で中部国際空港に向けて出発した。この学会は第2回大会を私が会長で鹿児島市で開催したことや、特別講演(荻野先生の神経難病の緩和ケアについての講演)の座長を頼まれたこともあって出席することにした。そして学会に出席する前に、井形先生と奥様の眠られている高徳院に参拝しようと考えていた。高徳院への参拝は、今回で三回目ということになる。
いつものように病院での朝の日常を済ませて、8時前に病院を出発、高速道路に乗るか迷ったが、通い慣れた国道10号線を通るルートを選んだ。竜ヶ水と大崎鼻の間の4車線化工事が完了して、鹿児島から重富までは高速道路と変わらない車の流れである。9時頃に空港に到着、今日一緒にお参りに付き合ってくれるTさんへのお土産をあれこれと選んだ。豚の角煮、薩摩揚げ、下駄ん端、ゆず、唐芋レアケーキ・・・などなど。
名古屋国際空港には定刻の11時20分に到着、あらかじめ路線図でチェックした通りに事が進んで、12時24分には中京競馬場前駅に着くことができた。改札を出ると、こちらも打ち合わせ通りに、Tさんがお参り用のお花を用意して待ってくれていた。
Tさんは名古屋市のある老健施設の管理栄養士であるが、2008年に「井形先生を囲むグルメの会」を開催して以来の井形先生とのお付き合いで、私とは納先生の退官記念パーティー以来ということになる。このグルメの会は、Tさんの恩師の教授や栄養を担当している人たちなどが集まって、井形先生やいろいろな先生(納先生もそのお一人)の話を聞きながら美味しく食事する会ということで数年間続いたそうだが、さまざまな事情でその後立ち消えになったらしい。「先生もそのうちにお呼びする予定でしたのに・・・」と少し残念がってくれていた。
