四郎さん(2016/11/18)
11月7日の朝、秘書の鳥居さんから「山本士郎さんという方が外来に来られているそうですが」というメッセージをもらった。「どの山本さんだろうか、山本さんという名前は多いが、遠縁にあたるらしい山元さんがよく訳の分からないことで受診されるあの山元さんだろうか。だったらあんまり会いたくないな」などと考えながら、外来へと急いだ。月曜日の朝ということもあり外来は混雑していたが、すぐに「○○四郎さん」だとわかった。もう何年も会っていないし消息もよくつかめていなかったが、大学時代の親友の一人で、もっとも会ってみたかった人の一人である。開口一番、私は「四郎さん、まだ生きちょたのね」であった。
私の部屋にお連れして、積もる話を一時間ほどした。本当はもう少し話したかったし、空港まで送ろうかとも考えたが、もともと遠慮がちな性格をよく知っていたので、勝手に自転車で帰ってもらった。大学の同窓会が5日にあり(私は公的病院院長会と重なり、出席できなかった)、6日にゴルフして、今朝貸自転車で南風病院まで来たのだという。
四郎さんは社会医学研究会の仲間で、医学部の専門課程の時、いきさつは忘れてしまったが、普通の人は2年に上がるときに1年に落ちてきて(2年落ちたことになる)同学年となった。大人風の風格で、物事にこだわらず、素晴らしい才能にも恵まれていたが、唯一の欠点は、朝起きれない(朝寝)ことだった。そのために「単位」が足りなくて「落第」したのではなかっただろうか。私は家が近い(彼の家は常磐町で、当時私は原良町に住んでいた)こともあって起こしに行ったり、夜は近くのスナックでよく飲んだものである。わたしの家にもよく遊びに来ていた(奥さんを伴って来られた時には私は留守していた)ので、亡くなった母も「四郎さん、どうしているかね」と話していたものである。
卒業後、私の予測を裏切って一外科に入局した。宇和島で結婚式を挙げるということで、出席した。松山からの汽車が長かったこと、結婚式がエンドレスに続いたというような思い出がある。開業したと聞いて「薩摩焼の壺」を贈ったが、届いたという通知もなく、なしのつぶてであった。年賀状の返事をもらったこともなかったので「そんな人」と、四郎さんなら許せるところがうらやましい。ダマされてもダマすことはしない人である。「医院を継ぐ人がいないというので、頼まれて開業した。しばらくして養子を迎えるので買い戻したいというので、閉業したんですよ。そしたらなんとすぐ更地になっていて、びっくりしましたね」などと、そのいきさつも今回初めて聞いた。
「四郎さんはがんになったこと聞いたけど・・・」と話を向けると、「もうずいぶん昔、肺がんになって、5年ほど前に今度は胃がんになって、大半をとってしまった。でももうすぐ5年になるから大丈夫かな」と屈託なく笑っている元気な顔色をみると、またがんを「克服」したようだ。必要以上に心配しないでいると、がんも逃げていくようである。
遠慮なく何でも話せる昔の友は、いくつになってもいいものである。
私の部屋にお連れして、積もる話を一時間ほどした。本当はもう少し話したかったし、空港まで送ろうかとも考えたが、もともと遠慮がちな性格をよく知っていたので、勝手に自転車で帰ってもらった。大学の同窓会が5日にあり(私は公的病院院長会と重なり、出席できなかった)、6日にゴルフして、今朝貸自転車で南風病院まで来たのだという。
四郎さんは社会医学研究会の仲間で、医学部の専門課程の時、いきさつは忘れてしまったが、普通の人は2年に上がるときに1年に落ちてきて(2年落ちたことになる)同学年となった。大人風の風格で、物事にこだわらず、素晴らしい才能にも恵まれていたが、唯一の欠点は、朝起きれない(朝寝)ことだった。そのために「単位」が足りなくて「落第」したのではなかっただろうか。私は家が近い(彼の家は常磐町で、当時私は原良町に住んでいた)こともあって起こしに行ったり、夜は近くのスナックでよく飲んだものである。わたしの家にもよく遊びに来ていた(奥さんを伴って来られた時には私は留守していた)ので、亡くなった母も「四郎さん、どうしているかね」と話していたものである。
卒業後、私の予測を裏切って一外科に入局した。宇和島で結婚式を挙げるということで、出席した。松山からの汽車が長かったこと、結婚式がエンドレスに続いたというような思い出がある。開業したと聞いて「薩摩焼の壺」を贈ったが、届いたという通知もなく、なしのつぶてであった。年賀状の返事をもらったこともなかったので「そんな人」と、四郎さんなら許せるところがうらやましい。ダマされてもダマすことはしない人である。「医院を継ぐ人がいないというので、頼まれて開業した。しばらくして養子を迎えるので買い戻したいというので、閉業したんですよ。そしたらなんとすぐ更地になっていて、びっくりしましたね」などと、そのいきさつも今回初めて聞いた。
「四郎さんはがんになったこと聞いたけど・・・」と話を向けると、「もうずいぶん昔、肺がんになって、5年ほど前に今度は胃がんになって、大半をとってしまった。でももうすぐ5年になるから大丈夫かな」と屈託なく笑っている元気な顔色をみると、またがんを「克服」したようだ。必要以上に心配しないでいると、がんも逃げていくようである。
遠慮なく何でも話せる昔の友は、いくつになってもいいものである。
