Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

奄美大島の旅(6)(2016/11/16) 

私は田中さんの家には最初に搬送した時と、その後生協病院(現在の奄美中央病院)に人工呼吸器のことで相談された時、そしてもう一回は稲元師長と伺った覚えがあった。奥様はいつも明るく、奄美の空のようなきっぷのいい方で、「娘も大きくなって、中学校で水泳が一番なのですよ」と誇らしげに話されたことも憶えている。この時に撮った写真(あやまる岬で、稲元師長、田中さんの奥様)が残っていたので、3日の夜にホテルから稲元師長に電話してみた。「あの写真では、稲元さんはどうして和服を着ていたのかなあ」と話すと、「川口ちゃん(当時南九州病院の看護師)が、奄美の高校に転勤になった先生と結婚することになって、式に参加した帰りじゃなかったのかな」と聞いて「納得」した。
 さて田中さんの家は傾斜地に建っていたので、長くて急な階段を上って玄関のボタンを押すと、しばらくして中年の女性が出て来た。「ここは田中さんのご自宅ですか」と言うと、怪訝そうに私の顔をじっと見ていて、しばらくして「福永先生ですか」と言われてびっくりした。「お母さんは・・・」と尋ねると、「ちょっと認知症になり・・・もう80になりました」と言われる。心の中で、「あの時の中学生が・・・」と思いながら、奄美に来ている理由を話すと「ちょっと待ってください」と言われて奥に姿を消し、しばらくして焼酎を手に提げて「珍しい黒糖焼酎です」と言われる。なおこの黒糖焼酎は「一番橋」という銘柄で、山田酒造(昭和20年代の創業)が年間400石(1石=1.8L瓶で100本)弱というわずかな生産量のためなかなか手に入らないらしい。黒糖焼酎ファンなら、誰でも一度は口にしてみたいと思う逸品だそうである。
 「母が徳田先生にもお世話になっておりますし、奥様にもお世話になっておりますので、今夜の懇親会にもちょっと顔を出したいと思います」と言われる。お母さんには是非ともお会いしたいと思ったが、娘さんの判断だろうと思って断念した。車の中に里中さんと前田君を待たせているし、取りあえずその場を後にした。
 夜の懇親会はホテルの近くの居酒屋 誇羅司屋(ほこらしや)で開催されたが、20人ほどが集まって、楽しい宴会となった。会の途中、田中さんの娘さんが約束通り会いに来てくれた。現在、社長として奄美九宝社を率いているという。「玄関で、どうしてすぐに分かったのですか」と尋ねると「先生の写真を母が貼ってありましたから」と言われる。そういえば、訪問した時に「娘が水泳が得意で」と言いながら、新聞に載った記事を誇らしげに見せてくれたこともあった。その子供が成長して、目の前にいる社長さんである。
 難病医療では患者さん、家族との繋がりは長く、本当にありがたいものだとつくづく思うことだった。