Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

奄美大島の旅(4)(2016/11/14) 

13時頃、研修会会場の鹿児島県立奄美図書館の研修室に移動した。この建物の一階は、長年館長を務めておられたあの有名な島尾敏雄(第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任した経歴がある。代表作に「死の棘」)の記念館である。14時から、研修会となったが、会議室には80人を超える、地域で難病の在宅医療を支えている実務者が参加してくれていた。職種的には保健師、訪問看護師、介護支援専門員、ケアマネージャー、事務職、理学(作業)療法士などで、医師も3人参加していた。
 私は「重症難病患者の療養生活を支援していくために」というタイトルで、一時間ほど講演した。まだこの頃にはさほど咳き込むこともなく、一応声も出ていたが、次のシンポジウムの座長の頃には時々急き込んで、大変困る状態になっていた。
 15時過ぎから「奄美においての重症難病患者の療養生活支援」というテーマのシンポジウムで、シンポジストはファミリークリニック「ネリヤ」の徳田先生、宇検村役場保健福祉課の保健師の浅尾さん、生協訪問看護ステーションあまみの訪問看護師の良山さんの3人である。
 徳田先生は私の三内科時代の後輩にあたるが、一緒に仕事をしたことはない。奄美の生まれで、いつかは地域で貢献したいと思って医師になったそうで、クリニックの名称の「ネリヤ」にその心が込められている。奄美の言葉の「ネリヤカナヤ」(海のかなた、山のかなた)からとられたそうで、奄美のシマに幸(さち)をもたらす理想郷という意味だそうである。シンポジウムで話された内容の骨子も、重度な「要介護」状態となっても「住み慣れた」地域で、「自分らしい」暮らしを、「人生」の「最後まで続ける」というものだった。
 次のシンポジストの宇検村役場の保健師、浅尾さん(男性)は熊本の出身で、鹿児島大学の保健学部を卒業した後、島での保健活動に興味を持ち宇検村に移り住んで、非常勤から常勤へとキャリアアップさせながら、島の保健活動に全身全霊で取り組んでいるという。有能で、ほとばしるような情熱の持ち主が、このような離島での保健活動に真正面から取り組んでいる姿をみると嬉しくなる。宇検村は焼内湾を挟んで14集落が点在する村で、人口1762人(ちなみに私の通った城西中学校の生徒数は3600人だった)、高齢化率が39.4%だという。全体の概略を話されたのち、76歳の女性のALS事例を詳細に報告した。この女性は都会に住んでいたが、病気になって郷里に帰り療養しているようだ。周りの人間味あふれるサポートが、都市部との違いであると話されていた。
 最期のシンポジスとの良山さんは経験豊富な訪問看護師で、難病看護についての総論的な話と、自分の関わられている2例のALS患者、多発性硬化症、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー、肢体型筋ジストロフィーの患者についてわかりやすく話された。
 座長は私が担当したが、この頃には私の声はつぶれてしまって、時々発作的に出てしまう咳とも相まって大変な状況となったが、会場からも自発的に活発な意見も出されて、成功裏に終えることができた。奄美でもこのような会合に、医療福祉関係者が80人も集まることは珍しいらしく、奄美の地で難病の在宅医療が着実に根付いてきた証であると評価されていい。