奄美大島の旅(3)(2016/11/10)
美術館を後にして、奄美市へと向かったが西郷隆盛が流されていたときの住居がある龍郷町を通り、和光園の近くの田中一村の住居跡に車を走らせた。綺麗に整備されているだろうと思っていたのに、今にも朽ち果てそうな古い田舎家で、案内板だけは建てられていた。庭の整備をしていたお年寄りに礼を言って住居跡を後にして、今日のシンポジスとの一人である徳田先生のファミリークリニック「ネリヤ」を左に見ながらしばらく進むと、和光園の正面玄関がみえてきた。予想もしていなかった小綺麗な3階建ての建物でちょっとびっくりした。里中さんと前田君は準備もあるということで先に出発し、私だけが2階の総師長室に案内された。
そこで三人で、楽しい四方山話に花を咲かせた。途中で吉原さんが、とっておきの美味しいコーヒーをふるまってくれた。南九州病院の頃、私は昼食時間になると食事を食べたのちに看護部長室で、吉原さんの炒れてくれたコーヒーを上別府さんの3人で楽しんだものである。私はかってに「吉原コーヒー店」と名付けていた。そんなこともあり、今回の二人へのお土産も、ちょっと上等の「コーヒー」としたのである。
最も嬉しかったのは、先日の私のメールで咳が出ることを案じて、「南天のど飴」をたくさん用意してくれていたことである。その他にも以心伝心というか、地元のモンキーバナナ(吉岡バナナ繋がりで話が弾む)、喜界島の青いまま食べられる「花良治(けらじ)みかん」も用意してくれていた。このみかんは小ぶりだが種が殆どなくて、香りがよく、程よい酸っぱさの上品な味である。数年前に喜界島での検診の時、帰り際に庭の片隅の木からこのもぎ取ったばかりのみかんをたくさんもらったことがあった。「まだ青いのに」と言ったら、それが特徴で、実に美味しかったことを憶えている。
11時半頃、3人で病院を出て20分ほど歩いて、美味しいと評判のレストランに案内してくれた。街並みは綺麗に整備されていて、家の佇まいも瀟洒な立派な家が建ち並んでいる。「世田谷みたいじゃない!」と冗談の言葉も出たが、平成17年に和光園のある和光町と奄美市(名瀬)を結ぶ和光トンネル(2.4キロ)が開通して、奄美市のベッドタウンとなり、開発が進んだようである。坪20万円ぐらいというから、姶良市と変わらない。小川のほとりにはススキが秋の風にそよいでいて、奄美の道を歩いているのが信じられなくなる。
歩きながら近況に移ると、「郷に入っては郷に従え」という言葉のように、二人ともこの地に溶け込んで楽しく仕事ができているようである。私の南九州病院の院長時代、3月に恒例の異動通知の時、「ハンセン病療養所への転勤」の通知となると何がしか心が重かったことを憶えている。現在の入所者は32人(だったかな)、77歳から100歳までと高齢者が多く年々少なくなっているようである。「もう偏見はないのですか」と聞いて見ると、「地域ではほとんどないですよ。マスコミが勝手につくっているのではないですか」と一蹴された。料理は美味しい魚料理で、今回は私がご馳走になった。
そこで三人で、楽しい四方山話に花を咲かせた。途中で吉原さんが、とっておきの美味しいコーヒーをふるまってくれた。南九州病院の頃、私は昼食時間になると食事を食べたのちに看護部長室で、吉原さんの炒れてくれたコーヒーを上別府さんの3人で楽しんだものである。私はかってに「吉原コーヒー店」と名付けていた。そんなこともあり、今回の二人へのお土産も、ちょっと上等の「コーヒー」としたのである。
最も嬉しかったのは、先日の私のメールで咳が出ることを案じて、「南天のど飴」をたくさん用意してくれていたことである。その他にも以心伝心というか、地元のモンキーバナナ(吉岡バナナ繋がりで話が弾む)、喜界島の青いまま食べられる「花良治(けらじ)みかん」も用意してくれていた。このみかんは小ぶりだが種が殆どなくて、香りがよく、程よい酸っぱさの上品な味である。数年前に喜界島での検診の時、帰り際に庭の片隅の木からこのもぎ取ったばかりのみかんをたくさんもらったことがあった。「まだ青いのに」と言ったら、それが特徴で、実に美味しかったことを憶えている。
11時半頃、3人で病院を出て20分ほど歩いて、美味しいと評判のレストランに案内してくれた。街並みは綺麗に整備されていて、家の佇まいも瀟洒な立派な家が建ち並んでいる。「世田谷みたいじゃない!」と冗談の言葉も出たが、平成17年に和光園のある和光町と奄美市(名瀬)を結ぶ和光トンネル(2.4キロ)が開通して、奄美市のベッドタウンとなり、開発が進んだようである。坪20万円ぐらいというから、姶良市と変わらない。小川のほとりにはススキが秋の風にそよいでいて、奄美の道を歩いているのが信じられなくなる。
歩きながら近況に移ると、「郷に入っては郷に従え」という言葉のように、二人ともこの地に溶け込んで楽しく仕事ができているようである。私の南九州病院の院長時代、3月に恒例の異動通知の時、「ハンセン病療養所への転勤」の通知となると何がしか心が重かったことを憶えている。現在の入所者は32人(だったかな)、77歳から100歳までと高齢者が多く年々少なくなっているようである。「もう偏見はないのですか」と聞いて見ると、「地域ではほとんどないですよ。マスコミが勝手につくっているのではないですか」と一蹴された。料理は美味しい魚料理で、今回は私がご馳走になった。
