拡大女子会(後)(2016/12/08)
私の隣に座っていた西村君が「今の還暦は60歳には見えませんね。みな若いです」とつぶやいていたが、確かに「体型はそれなりに健康そのものであるが、若くみえる」と思った。
この後、おふくろ自慢の海鮮料理に舌鼓を打ちながら、肩ひじ張らない愉快な仲間での他愛のない歓談が9時ごろまで続いた。ただこの女子会、大学病院が大赤字に陥ったときに、「どうにかしよう」ということで始まったらしい。人と人との連携と和の構築、そして時には「なるほどだなあ」とタメになるような話も混じっているのでここまで続いたのだろう。
ひな壇の3人に、「長い間生きて来られた来し方を振り返って、楽しかったことやそうでもなかったことなど、ざっくばらんに・・・」という注文で、適当に話してもらうことにした。酔っぱらって翌朝には話の内容をほとんど忘れてしまっていたので、私が適当に脚色してある。
向窪さんは、若いころ大病を患ったそうだが、結果的にはそのことが幸いして、人の気持ちのよくわかる看護師として成長し、現在は看護部のトップになってしまった。私は30年ほど前に南九州病院に勤めたいたころ、大学病院の外来を借りて年一回のスモン検診を行うときに向窪さんには大変お世話になった。私の弟とは一内科時代に一緒に仕事したことがあったらしく「弟さんはハンサムでしたね・・・」と、私には気に障るような発言も飛び出していた。
宇都さんは看護師として病棟勤務をしていた頃に、時代が病院情報システムの構築の時代になり、初代電子計算機推進委員会委員長の井形教授から引き抜かれてこの分野に入ったという(1984年)。以降の活躍はこの業界では衆知のことになっているが、厚労省の役人には私と共通の友人も多く、「宇都さんのビールの飲みっぷりには感激した」という人も多い。特技は短時間熟睡で、数分で熟睡出来るという(うらやましい限りである。でも道園さんの突込みでは、夜半に「委員会がどうのこうのとか」ひとり言(寝言)を言い出して、同伴者には迷惑もかけているようだ)。信条はこの娘にこの母ありというか、「くよくよしない、明日のことを思い煩うな」で、これは母の口癖だったそうである。 田畑さんは大学の副看護部長を一年早く辞めて、今年の6月から鹿児島県看護協会の会長職にある。「すごい集中力で、会長職は適任だよね」と、みんなが期せずして同調していた。大学の一外科やICUで勤務後、神戸大学病院に転職、鹿児島大学病院に復職するとき、「手先が器用だったから、歯科の勤務も悪くはないよね」と思ったという。その後、口腔ケア、医療安全、県の産科体制、離島・国際看護交流、メッセンジャーナースと幅を広げており、看護協会長としてうってつけのように思われる。
この会のために福田さんが、あの「獺祭」の一升瓶をお取り寄せしてくれていたので、私は大分飲んでしまって、最後の頃はこの時期には「どこでも見かける酔っ払い爺さん」になってしまっていた。3本のケーキに灯をともし、みんなで4人の今後の活躍を祈念してお開きになった。
この女子会への参加を西村君に打診した時、「どんな会?」と聞かれたので、「葉っぱが6人集まっていると思えばいいよ(分る人にはわかる)」と言ってしまったが、きっと十分に納得してくれたのではないだろうか。
この後、おふくろ自慢の海鮮料理に舌鼓を打ちながら、肩ひじ張らない愉快な仲間での他愛のない歓談が9時ごろまで続いた。ただこの女子会、大学病院が大赤字に陥ったときに、「どうにかしよう」ということで始まったらしい。人と人との連携と和の構築、そして時には「なるほどだなあ」とタメになるような話も混じっているのでここまで続いたのだろう。
ひな壇の3人に、「長い間生きて来られた来し方を振り返って、楽しかったことやそうでもなかったことなど、ざっくばらんに・・・」という注文で、適当に話してもらうことにした。酔っぱらって翌朝には話の内容をほとんど忘れてしまっていたので、私が適当に脚色してある。
向窪さんは、若いころ大病を患ったそうだが、結果的にはそのことが幸いして、人の気持ちのよくわかる看護師として成長し、現在は看護部のトップになってしまった。私は30年ほど前に南九州病院に勤めたいたころ、大学病院の外来を借りて年一回のスモン検診を行うときに向窪さんには大変お世話になった。私の弟とは一内科時代に一緒に仕事したことがあったらしく「弟さんはハンサムでしたね・・・」と、私には気に障るような発言も飛び出していた。
宇都さんは看護師として病棟勤務をしていた頃に、時代が病院情報システムの構築の時代になり、初代電子計算機推進委員会委員長の井形教授から引き抜かれてこの分野に入ったという(1984年)。以降の活躍はこの業界では衆知のことになっているが、厚労省の役人には私と共通の友人も多く、「宇都さんのビールの飲みっぷりには感激した」という人も多い。特技は短時間熟睡で、数分で熟睡出来るという(うらやましい限りである。でも道園さんの突込みでは、夜半に「委員会がどうのこうのとか」ひとり言(寝言)を言い出して、同伴者には迷惑もかけているようだ)。信条はこの娘にこの母ありというか、「くよくよしない、明日のことを思い煩うな」で、これは母の口癖だったそうである。 田畑さんは大学の副看護部長を一年早く辞めて、今年の6月から鹿児島県看護協会の会長職にある。「すごい集中力で、会長職は適任だよね」と、みんなが期せずして同調していた。大学の一外科やICUで勤務後、神戸大学病院に転職、鹿児島大学病院に復職するとき、「手先が器用だったから、歯科の勤務も悪くはないよね」と思ったという。その後、口腔ケア、医療安全、県の産科体制、離島・国際看護交流、メッセンジャーナースと幅を広げており、看護協会長としてうってつけのように思われる。
この会のために福田さんが、あの「獺祭」の一升瓶をお取り寄せしてくれていたので、私は大分飲んでしまって、最後の頃はこの時期には「どこでも見かける酔っ払い爺さん」になってしまっていた。3本のケーキに灯をともし、みんなで4人の今後の活躍を祈念してお開きになった。
この女子会への参加を西村君に打診した時、「どんな会?」と聞かれたので、「葉っぱが6人集まっていると思えばいいよ(分る人にはわかる)」と言ってしまったが、きっと十分に納得してくれたのではないだろうか。
