寅カレンダー作成のために(前)(2017/01/23)
南九州病院を離れて4年近くになるが、患者さんやその家族との関係が続いている人も多い。難病などは経過が長いことが多いので、その関わりも当然長くなるということになる。
南九州病院で筋ジス病棟を担当していた頃、よく悩んだのは各々の患者さんへのスタンスの取り方だった。私がよく話題にする轟木敏秀(筋ジス患者)の場合、亡くなる数年前に、東京のボランティアグループで東京に招待したいという話が進んだことがある。当時、人工呼吸器は装着しており全身状態もさほど良くなかったので、付添の医師が必要になった。私は主治医だったので付き添うことは構わなかったが、状態が急変した時に他の乗客に迷惑をかけることになるのではないかという点と、他の患者との関係で「不平等」になるのではないかということで、私は気持ちが乗らなかった。今にして思えば、「飛行機の上からでも一度は富士山をみたい」という思いを叶えてあげられなかったことに悔いは残っている。もっとも、他の患者さんも同じ思いはあったわけで、彼だけを特別に扱うことへの躊躇は今も変わりはない。
結論からいうと、医師は基本的なスタンスとしては当然のことながら平等に接しなければならない。ただ患者自身の求めるものの程度で、結果的にはある程度の不平等はやむを得ないのかも知れないと、自分に納得させていたように思う。逆に、いらぬお節介もしないようにと務めてきた。
昨年末、ALSの夫を24時間介護されている北吉さんの奥さんからメールをもらった。
「先日はメールのお返事ありがとうございます!伝統のカレンダー写真は来年の1月の10か11日に我が家に来て頂けることを希望します。食事がラコールに戻り、徐々に管が外れそうです!いよいよ退院に向かっていけそうで」というものである。昨年末に肺炎のために南九州病院に入院中だということは聞いていた。とはいっても、ウィークデイにはとても行けそうになかったので、土曜日(7日)の午後、ご自宅を訪問して「伝統」の集合写真を撮ることになった。
その土曜日の朝、病院での通常の健診業務を済ませて、14時ごろに横川町にある北吉宅に向かった。温かいが、あいにく小雨が降っている。病院の隣にあるTABIRAで注文していたケーキを受け取り(8日に子供や孫が一堂に集まるということを聞いていたので、デコレーションケーキに、「ことしも頑張ろう」というカードを立ててもらった)、吉野経由で高速で向かうことにした。この伝統の写真撮影会は2006年から始まったので、今年で11回目を迎えることになる。トラキチの北吉さんと奥さん、介護者、そして私の4人(最初のころは娘さんも参加していた)の集合写真であるが、それぞれトラグッズに身を固めて、応援用メガホンを手に持って、あられもない姿で写真に納まることになる。北吉さんは大阪にある中堅の建設会社の現場監督として活躍されていたが、平成元年ごろ(40歳前に)故郷の横川町に帰ってきて、鹿児島県にある同社の支店で働いていたようである。50歳前にALSを発病してしまい、そのあと私との縁ができたようである。
南九州病院で筋ジス病棟を担当していた頃、よく悩んだのは各々の患者さんへのスタンスの取り方だった。私がよく話題にする轟木敏秀(筋ジス患者)の場合、亡くなる数年前に、東京のボランティアグループで東京に招待したいという話が進んだことがある。当時、人工呼吸器は装着しており全身状態もさほど良くなかったので、付添の医師が必要になった。私は主治医だったので付き添うことは構わなかったが、状態が急変した時に他の乗客に迷惑をかけることになるのではないかという点と、他の患者との関係で「不平等」になるのではないかということで、私は気持ちが乗らなかった。今にして思えば、「飛行機の上からでも一度は富士山をみたい」という思いを叶えてあげられなかったことに悔いは残っている。もっとも、他の患者さんも同じ思いはあったわけで、彼だけを特別に扱うことへの躊躇は今も変わりはない。
結論からいうと、医師は基本的なスタンスとしては当然のことながら平等に接しなければならない。ただ患者自身の求めるものの程度で、結果的にはある程度の不平等はやむを得ないのかも知れないと、自分に納得させていたように思う。逆に、いらぬお節介もしないようにと務めてきた。
昨年末、ALSの夫を24時間介護されている北吉さんの奥さんからメールをもらった。
「先日はメールのお返事ありがとうございます!伝統のカレンダー写真は来年の1月の10か11日に我が家に来て頂けることを希望します。食事がラコールに戻り、徐々に管が外れそうです!いよいよ退院に向かっていけそうで」というものである。昨年末に肺炎のために南九州病院に入院中だということは聞いていた。とはいっても、ウィークデイにはとても行けそうになかったので、土曜日(7日)の午後、ご自宅を訪問して「伝統」の集合写真を撮ることになった。
その土曜日の朝、病院での通常の健診業務を済ませて、14時ごろに横川町にある北吉宅に向かった。温かいが、あいにく小雨が降っている。病院の隣にあるTABIRAで注文していたケーキを受け取り(8日に子供や孫が一堂に集まるということを聞いていたので、デコレーションケーキに、「ことしも頑張ろう」というカードを立ててもらった)、吉野経由で高速で向かうことにした。この伝統の写真撮影会は2006年から始まったので、今年で11回目を迎えることになる。トラキチの北吉さんと奥さん、介護者、そして私の4人(最初のころは娘さんも参加していた)の集合写真であるが、それぞれトラグッズに身を固めて、応援用メガホンを手に持って、あられもない姿で写真に納まることになる。北吉さんは大阪にある中堅の建設会社の現場監督として活躍されていたが、平成元年ごろ(40歳前に)故郷の横川町に帰ってきて、鹿児島県にある同社の支店で働いていたようである。50歳前にALSを発病してしまい、そのあと私との縁ができたようである。
