畠山先生のご逝去(前)(2017/01/12)
朝いつものようにパソコンを開くと、「本日(12月29日)11時58分,畠山卓朗さまがご逝去されました。ここに謹んでご冥福をお祈りし,ご報告申し上げます」という文字が飛び込んできた。そして岡本さん(前筑波大学教授)は「ああ・・・.抗がん剤,臍帯血移植など辛い治療に耐えてがんばってくれていました。先日,メールに返事をいただいていて,少しは元気になってきていると思っていたのですが。また一人,大切な師匠,友を失ってしまった・・・.残念です」というメールである。
思い返してみる時、私が南九州病院の筋ジス病棟で働いていたとき、畠山さんなど筋ジス患者を陰ひなたにサポートしてくれた方々はボランティア精神に溢れ、高い見識の持ち主ばかりだった。その関係は現在も続いていて、私にとっても貴重な財産である。
畠山さんは「スイッチの神様」と称された人であるが、2007年から、早稲田大学人間科学学術院教授の任にある。畠山研究室のホームページを見ると、「文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある」というタイトルと、「障がいがある方と高齢の方の生活を支える機器・技術・環境をテーマに,より良い支援のあり方を追求することを目的にして教育や研究に取り組んでいます。『機器や技術』という言葉から冷たいイメージを連想されるかも知れませんが,ここには人の生きる力や新たな気付きがあります.関心を持たれた方はぜひその扉をノックしてみてください」という言葉が目に飛び込んでくる。いかにも畠山さんらしい。
私と畠山さんとの付き合いは平成元年に遡る。
当時南九州病院に入院していた筋ジス患者の轟木敏秀(当時、私は主治医だったので、敏秀と呼んでいた)は27歳になり、気管切開をして人工呼吸器を装着されていたが、病状の進行でキーボードをたたくのに苦労するようになっていた。そんな時、パソコン雑誌「月刊アスキー」で、キーボードの代わりをする「KBマウス」と命名された入力装置の存在を知る。
そこで当時横浜市総合リハビリテーションセンターの福祉機器の研究職の畠山さんに「上村さん(脊損で四肢麻痺)の使っているKBマウスは、手でも操作できるはずです。研究してくれませんか?」と相談した。「首から上だけしか動かすことのできない人が使用できるのだから、自分にできないはずはない」と負けず嫌いの敏秀は思ったという。その後、敏秀に合ったマウスの製作のために、畠山さんは横浜と鹿児島の間を何度も往復することになる。
思い返してみる時、私が南九州病院の筋ジス病棟で働いていたとき、畠山さんなど筋ジス患者を陰ひなたにサポートしてくれた方々はボランティア精神に溢れ、高い見識の持ち主ばかりだった。その関係は現在も続いていて、私にとっても貴重な財産である。
畠山さんは「スイッチの神様」と称された人であるが、2007年から、早稲田大学人間科学学術院教授の任にある。畠山研究室のホームページを見ると、「文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある」というタイトルと、「障がいがある方と高齢の方の生活を支える機器・技術・環境をテーマに,より良い支援のあり方を追求することを目的にして教育や研究に取り組んでいます。『機器や技術』という言葉から冷たいイメージを連想されるかも知れませんが,ここには人の生きる力や新たな気付きがあります.関心を持たれた方はぜひその扉をノックしてみてください」という言葉が目に飛び込んでくる。いかにも畠山さんらしい。
私と畠山さんとの付き合いは平成元年に遡る。
当時南九州病院に入院していた筋ジス患者の轟木敏秀(当時、私は主治医だったので、敏秀と呼んでいた)は27歳になり、気管切開をして人工呼吸器を装着されていたが、病状の進行でキーボードをたたくのに苦労するようになっていた。そんな時、パソコン雑誌「月刊アスキー」で、キーボードの代わりをする「KBマウス」と命名された入力装置の存在を知る。
そこで当時横浜市総合リハビリテーションセンターの福祉機器の研究職の畠山さんに「上村さん(脊損で四肢麻痺)の使っているKBマウスは、手でも操作できるはずです。研究してくれませんか?」と相談した。「首から上だけしか動かすことのできない人が使用できるのだから、自分にできないはずはない」と負けず嫌いの敏秀は思ったという。その後、敏秀に合ったマウスの製作のために、畠山さんは横浜と鹿児島の間を何度も往復することになる。
