新しい年(後)(2017/01/11)
いつものように朝早く出勤し、今朝の8時10分からの年始式の原稿を整理する。院内ランの発信は年初式の後にすることにして、多喜ホールに参集する人たちには、今年も事前に一枚の原稿を配ってもらうことにした。会場には幹部職員をはじめとして多くの職員が集まってくれていた。
何を話そうかと迷ったが、結局「普通の話」に落ち着いた。言いたいところは消化器内科改革を軌道に乗せることと、黒字化を達成することである(4日のラン)。理事長の挨拶に続いて、私も手短に数分話をさしていただいた。厳粛な中にも爽やかで決意のみなぎった多くの顔に出会うことができてうれしかった。
年始式の後、健診部で一般の方々への簡単な健康診断を行い、基金事務所で再審査部会のレセプト点検を行った。一時間ほどで終えて、そのまま小野町にあるハートピアの県難病相談・支援センターに向かった。
まず、かごしま難病支援ネットワークで会長の黒木さんに挨拶した後、事務局の水主さんを交えて、年末年始の「出来事」を語り合った。
その後、センターの隣の3階のベランダで雄大な桜島を背景にして、恒例のセンター職員全員の集合写真を撮ってもらった。部屋に戻り、簡単な年始の挨拶の後、昼食会(うなぎ)となった。
再び、病院に戻り日常業務の後、鹿児島医療センターに出向いて上別府看護部長に挨拶の後、花田院長に挨拶とお願いをした。
夜は鹿児島市医師会の年始会に、医師会館まで歩いて出かけた。200人弱の会員が出席しており、ほぼ同じ年齢の会員が10人ぐらいずつ、一つのテーブルを囲んだ。君が代斉唱ののち、一月一日の歌も、2番まで歌った。この歌は元旦の日に小学校で、みんなで歌った記憶がある。テーブルで隣は今給黎病院の昇院長(市内の八幡小学校)だったが、そんな記憶はないということだった。
年の始めの 例(ためし)とて 初日のひかり さしいでて
終(おわり)なき世の めでたさを 四方(よも)に輝く 今朝のそら
松竹(まつたけ)たてて 門ごとに 君がみかげに比(たぐ)えつつ
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ 仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ
その後、猪鹿倉市医師会長、池田県医師会長、森鹿児島市長、三反園鹿児島県知事の挨拶が続いた。三反園知事の話を肉声で聴くのは初めてであったが、滑舌でさすがに政治家だと思えるような話だった。もっとも前歴はテレビ朝日のコメンテーターだったわけで、当然と言えば当然かもしれない。
どの挨拶にも気合が入っていてかなり長いものだったので、乾杯の音頭まで相当な時間を要した。よく言われるように、「巧言令色鮮し仁(言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだ)」という言葉を思い出しながら、各々の挨拶を聴いていた。なんだか、もうずいぶん昔の総理大臣になるが、大平正芳のしゃべり方が懐かしくなる。
年始会は19時過ぎには終わって、さほど寒くもないので歩いて帰った。
何を話そうかと迷ったが、結局「普通の話」に落ち着いた。言いたいところは消化器内科改革を軌道に乗せることと、黒字化を達成することである(4日のラン)。理事長の挨拶に続いて、私も手短に数分話をさしていただいた。厳粛な中にも爽やかで決意のみなぎった多くの顔に出会うことができてうれしかった。
年始式の後、健診部で一般の方々への簡単な健康診断を行い、基金事務所で再審査部会のレセプト点検を行った。一時間ほどで終えて、そのまま小野町にあるハートピアの県難病相談・支援センターに向かった。
まず、かごしま難病支援ネットワークで会長の黒木さんに挨拶した後、事務局の水主さんを交えて、年末年始の「出来事」を語り合った。
その後、センターの隣の3階のベランダで雄大な桜島を背景にして、恒例のセンター職員全員の集合写真を撮ってもらった。部屋に戻り、簡単な年始の挨拶の後、昼食会(うなぎ)となった。
再び、病院に戻り日常業務の後、鹿児島医療センターに出向いて上別府看護部長に挨拶の後、花田院長に挨拶とお願いをした。
夜は鹿児島市医師会の年始会に、医師会館まで歩いて出かけた。200人弱の会員が出席しており、ほぼ同じ年齢の会員が10人ぐらいずつ、一つのテーブルを囲んだ。君が代斉唱ののち、一月一日の歌も、2番まで歌った。この歌は元旦の日に小学校で、みんなで歌った記憶がある。テーブルで隣は今給黎病院の昇院長(市内の八幡小学校)だったが、そんな記憶はないということだった。
年の始めの 例(ためし)とて 初日のひかり さしいでて
終(おわり)なき世の めでたさを 四方(よも)に輝く 今朝のそら
松竹(まつたけ)たてて 門ごとに 君がみかげに比(たぐ)えつつ
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ 仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ
その後、猪鹿倉市医師会長、池田県医師会長、森鹿児島市長、三反園鹿児島県知事の挨拶が続いた。三反園知事の話を肉声で聴くのは初めてであったが、滑舌でさすがに政治家だと思えるような話だった。もっとも前歴はテレビ朝日のコメンテーターだったわけで、当然と言えば当然かもしれない。
どの挨拶にも気合が入っていてかなり長いものだったので、乾杯の音頭まで相当な時間を要した。よく言われるように、「巧言令色鮮し仁(言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだ)」という言葉を思い出しながら、各々の挨拶を聴いていた。なんだか、もうずいぶん昔の総理大臣になるが、大平正芳のしゃべり方が懐かしくなる。
年始会は19時過ぎには終わって、さほど寒くもないので歩いて帰った。
