緩和ケア研究会から厚生科学審議会に(1)(2017/02/16)
小説「海の蝶」(1994年新潮社から刊行)を著わした作家の高橋治(「風の盆恋歌」などの著作でも有名であるが、一般的な知名度は低いかな。2015年に86歳で逝去された。ちなみに同名の石川さゆりの歌の作詞は、なかにしれい)は、この本の扉に次のように書いている。
花を語る一冊の美しい本を残し、語られた花よりも美しい若い生涯を筋萎縮性側索硬化症によって閉じたA・Tさんに、この作品を捧げる。
きっと知り合いに、ALSで若い命を落とした女性がおられて、その人をモデルにしたということだろう。ただ実在の人物を小説のモデルにすることは難しく、高橋の「名もなき道を」という小説では、そのモデルとされる人物の遺族との間で裁判沙汰になって絶版となっている。
この本の中に、次のような一節がある。
・・倫子も由香里の顔を見るなり、恐ろしい早さで、考えている様々なことを読み切ったに違いない。その結果、少し乱暴かも知れないが、迂遠な方法をとるより、現実をそのまま見せてしまった方が良いと決断したのだろう。見たことは、確かに圧倒的だった。自分の将来を、眼の前の患者に重ねることなど、できるものなら、しないで逃げ出したい。しかし「やがてはこの道をたどる」。鉄槌は頭上に振り下された。その打撃を感じながらも、由香里はしゃきっと立っていた。
この患者は、体はなえ、他人の助けを借りながら生きていても、自我を押し殺す意志の力を失っていない。
それどころか他人をかばう余裕すら残している。
人が人である尊厳を全く失っていないのだ。そして、
出来ることがごく限られてしまった範囲の中からも、新しいものに挑戦する意欲を失っていない・・・
・・・ 「一人の患者さんは、御自身のことしか知りようがない。でも医者は違うわ。経験の積み重ねがあって、推理があって。北を向くべき患者に、南に行けとは絶対に言わないの。私の話していることについて来てくれているかしら」・・・
なお上記小説の「倫子」こそが、私が長い事、親交のある難波先生その人である。由香里とのやり取りなど、現在の難波先生と変わらない感じで、ほほえましく思いながら読むことだった。
さて2月5日(日)に倉敷市の川崎医科大学病院で「岡山県神経疾患緩和ケア研究会」が開催されることになり、特別講演を依頼された。現在、都窪郡早島町で「神経内科クリニックなんば」を開設されている難波玲子先生がこの研究会の代表世話人で、その縁によるものである。
私が南九州病院で、あるきっかけからALSの在宅医療に取り組んだのが1984年であったが、1994年に発刊されたこの本を早速読んだ。ヒロインの日下由香里が自分の病気の確定診断や治療法などを求めて、岡山の国立病院(当時の名称は国立療養所南岡山病院)を訪問する。当時難波先生はこの病院で働く神経内科医だったが、高橋の小説では由香里と倫子との出会いや病気に対する心構えなどが、物語的に「駅」という項に30ページほどに綴られている。
花を語る一冊の美しい本を残し、語られた花よりも美しい若い生涯を筋萎縮性側索硬化症によって閉じたA・Tさんに、この作品を捧げる。
きっと知り合いに、ALSで若い命を落とした女性がおられて、その人をモデルにしたということだろう。ただ実在の人物を小説のモデルにすることは難しく、高橋の「名もなき道を」という小説では、そのモデルとされる人物の遺族との間で裁判沙汰になって絶版となっている。
この本の中に、次のような一節がある。
・・倫子も由香里の顔を見るなり、恐ろしい早さで、考えている様々なことを読み切ったに違いない。その結果、少し乱暴かも知れないが、迂遠な方法をとるより、現実をそのまま見せてしまった方が良いと決断したのだろう。見たことは、確かに圧倒的だった。自分の将来を、眼の前の患者に重ねることなど、できるものなら、しないで逃げ出したい。しかし「やがてはこの道をたどる」。鉄槌は頭上に振り下された。その打撃を感じながらも、由香里はしゃきっと立っていた。
この患者は、体はなえ、他人の助けを借りながら生きていても、自我を押し殺す意志の力を失っていない。
それどころか他人をかばう余裕すら残している。
人が人である尊厳を全く失っていないのだ。そして、
出来ることがごく限られてしまった範囲の中からも、新しいものに挑戦する意欲を失っていない・・・
・・・ 「一人の患者さんは、御自身のことしか知りようがない。でも医者は違うわ。経験の積み重ねがあって、推理があって。北を向くべき患者に、南に行けとは絶対に言わないの。私の話していることについて来てくれているかしら」・・・
なお上記小説の「倫子」こそが、私が長い事、親交のある難波先生その人である。由香里とのやり取りなど、現在の難波先生と変わらない感じで、ほほえましく思いながら読むことだった。
さて2月5日(日)に倉敷市の川崎医科大学病院で「岡山県神経疾患緩和ケア研究会」が開催されることになり、特別講演を依頼された。現在、都窪郡早島町で「神経内科クリニックなんば」を開設されている難波玲子先生がこの研究会の代表世話人で、その縁によるものである。
私が南九州病院で、あるきっかけからALSの在宅医療に取り組んだのが1984年であったが、1994年に発刊されたこの本を早速読んだ。ヒロインの日下由香里が自分の病気の確定診断や治療法などを求めて、岡山の国立病院(当時の名称は国立療養所南岡山病院)を訪問する。当時難波先生はこの病院で働く神経内科医だったが、高橋の小説では由香里と倫子との出会いや病気に対する心構えなどが、物語的に「駅」という項に30ページほどに綴られている。