Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

昭和という時代(3)(2017/03/29) 

「昭和という時代」のタイトルの里見さんは、昭和24年生まれだという。戦争から帰還した義父の思い出を語っているが、「普段はおとなしくしていたが、酔っぱらったら大暴れした」と。そういえば、あの時代には道路で酔っぱらって、くだを巻いている大人をよく見かけたものである。
         昭和という時代は戦争で出征した者、戦死した者(その家族)、無事帰還できたものなど、忌まわしい戦争がそれぞれの人生に大きな影を落とした時代でもあった。私の父は教職を辞めた直後の61歳の時に、くも膜下出血で急逝した。私の知っている父は家では寡黙で、ほとんど話をすることはなかったが、外ではそうでもなかったらしい。一緒に働いていたという同僚からは「神様のような人でした」という意外な言葉を聞いたこともあった。母によると戦争体験が大きな影響を与えたようで「戦争から帰ってきて、変わった」と話していた。出征したフィリピンのルソン島は激戦地で、生還した人はほとんどいなかったということである。幸運にも帰還はできたわけだが、人には言えないようなおぞましく過酷な戦争体験を経験したのではないだろうか。
         「昭和~青春の一コマ」の竹之下さんは「昭和39年、東京オリンピックの年に鹿児島市内の高校に入学した(国分から)」とあるから、私より一年下の学年になる。冒頭に「映画スターの似顔絵の看板を取り付けた車からは『こちらは国分東映異動班でございます。今晩、七時から浦町選果場におきまして、○○主演による豪華二本立ての・・・』」とあるから、「ナトコ」映画の時代である。また鹿児島市の天文館の文化劇場の豪華さに驚いたり、騎射場の名画座にも触れている。
         私が高校や大学時代によく行っていた映画館は、なんといっても「ナポリ座」である。川の両側に柳の植えられている清滝川のほとりにあった映画館で、120円だせば古い名画を2本見ることができた。ソフィア・ローレンの「ひまわり」やジーナ・ロロブリジーダ「パンと恋と夢」などに夢中になったものである。映画を観た後は40円の、のり一ラーメンを食べるのが楽しみだった。
         諏訪下さんのエッセイは「私の昭和四十一年」といタイトルだが、高校卒業の年ということだから、私と同年齢である。この年に大阪の工場に就職されたそうで、パーマのこと、日産サニーやトヨタカローラのこと、インスタントラーメンのことなどが綴られている。確かにあの時代は、中学校を卒業して西駅から集団就職列車を見送る時代だった。ちなみに私が最初に買った車も中古のサニーだった。ラジオもクーラーもついていなかったが、その後のどの車より嬉しかったことを憶えている。