Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

昭和という時代(1)(2017/03/27) 

「昭和は遠くになりにけり」という言葉をよく耳にしたものだが、この昭和という時代は戦争から敗戦、戦後復興、高度経済成長期、そしてバブル期となんと63年間も続いた。年号による歴代天皇の治世としては稀有な長期間を記録し、そして激動の時代だったように思われる。大正天皇が若くて崩御されたので昭和天皇は26歳の若さで即位され、長寿を全うされたからである。
         私は昭和22年に戦後の団塊の世代の一人として生まれたので、ほぼ人生の三分の二を昭和とともに歩いてきた。その間、臨床医としての人生の大半が昭和の時代だっただけに、懐かしさもひとしおである。一方、私の母のような大正生まれの世代は、戦前・戦後の苦難な時期を、双方とも経験したことになる。
         文芸同人誌「あかね」の平成29年春号の課題エッセイは、「昭和」である。この同人誌では毎号「課題」を提示して会員からのエッセイを募っている。私はこれまで数回投稿させてもらって、いつごろからか「準会員」という資格にさせてもらっている。
         まず出題者の石井美智子さん(昭和9年生まれ)が、「『昭和』は生きている」というタイトルで昭和を年代的に三つの時代に分けて解説している。
         昭和元年から19年は世界経済恐慌に始まり、満州事変、日中戦争、第二次世界大戦を経て太平洋戦争が始まる。次の昭和20年から39年は日本の無条件降伏からアメリカ軍の占領、日本国憲法の発布や日本の復興、その象徴的出来事として昭和39年に東京オリンピックが開催された。最後の昭和は昭和40年から63年で、日本の高度経済成長時代から石油危機を経て、バブルの時代の真っただ中で天皇の崩御とともに昭和の時代は終わりを告げた。石井さんは昭和を東京オリンピックの開催された39年で分けているが、これは慧眼だと思う。円谷幸吉が銅メダルでテープを切ったマラソン、優勝は裸足のアベベだった。円谷はその後自殺して日本中を驚かせたが、オリンピックを境にして日本は高度経済成長を加速させるのである。
         この課題に対して20人を超える会員から「思い出」が寄せられているが、私の生まれた時代と近い方々のエッセイを中心に紹介する。思わず「そうだったよね」と、膝を叩きたくなる内容も多い。
         白石さん(南九州病院で一緒に働いたことのある72歳の元看護師さんで個人的に存じている)は、よく使われていた方言の「ゲエ」と「学芸会」を取り上げている。女の子が良く使っていたように思うのだが、私も「今日はあんたゲエに行っからね」というように使っていたかも知れない。
         学芸会の思い出では「運動が苦手な私は、秋の学芸会が楽しみだった。お姫さま役は、いつも背が高くてかわいいY子ちゃんと決まっていたので、私にはまわってこなかったが、少なくとも舞台に立っているだけの木ではなく、セリフのある役だった」そうである。私も小学2年の時の学芸会で、ぶんぶく茶釜の「タヌキ」の役柄で、木と同じようにセリフはなかったことを憶えている。ちなみに息子も幼稚園の学芸会では通行人Bで、何人かで「わーわー」と言いながら舞台を通り過ぎる親子二代の端役で大笑いしたことがあった。
         本棚から重たい記念アルバムを取り出すと、もうセピア色に変色した集合写真があり、タヌキの面をかぶった私(顔はわからない)の隣には、颯爽としたはかま姿の三人、哲郎君と可愛い美智子さん、和子さんが並んで立っている。子供心にも、ちょっとうらやましく嫉妬を感じた出来事だったような記憶がある。