Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

卒業式(後)(2017/03/17) 

南九州病院では15年間院長職にあったので、この時期ともなると隣接の加治木養護学校や国立病院機構鹿児島医療センターの卒業式での「挨拶」をよく頼まれた。大方はその場しのぎの思いつきで話すことが多かったが、下記の挨拶は「用意して」の挨拶だったと思われる。この看護学校での卒業式では、事前に予告もなく突然挨拶を頼まれたことがあった。後で聞いてみると、手違いで連絡を忘れていたらしい。さすがにこの時にはびっくりして、壇上に上がりながら「適当に」文言を考えたものである。
         卒業式での挨拶・・・「卒業する君たちに」
         まずは卒業に際して、心からの祝福の言葉とともに、今後私たちの仲間となってくれることに、深甚の感謝の気持ちを伝えたい。
          看護師になることを決意し、この3年間、さまざまな苦労を重ねながら、講義や実習に励み、一歩ずつその目標に近づく過程は、君たちのこれからの長い人生にとって、極めて貴重なものではなかっただろうか。
         そして君たちがこれから進もうとしている医療の世界は、君たちの好奇心と意欲を十分に満足させるに足る魅力的な職場であると思う。と同時に、看護という仕事を終生の仕事として選んだ君たちの選択が、決して間違っていなかったことに、すぐ気がつく日が来るだろう。
         私も君たちと同じように、約40年前に医学部を卒業し、この医療の世界に足を踏み入れた。もともと特別に高い志を持っていたわけでもなかったので、最初は大きな不安と戸惑いの連続だったように記憶している。ただ一人一人の患者さんと誠実に向き合い、語り合い、患者さんの気持ちに真摯に寄り添うことで、少しずつ自分の成長を確かめることができたように思う。
         私が院長をしている南九州病院の目標としている院是は、「病む人に学ぶ」というものであるが、この言葉こそが医療の真髄を、的確に表していると実感できるようになった。
         私が医師になって2年目のことだったかと思うが、レックリングハウゼン病という難病の女性の主治医になったことがあった。手に不全麻痺があったので脳腫瘍も疑って脳血管造影をしたところ、運悪く脳卒中を引き起こし、懸命に治療したが合併症を起こして亡くなってしまった。
         私は申し訳ない気持ちで出水市まで通夜に出かけたが、同じ病気の娘さんも、親族も、苦情の一つも口にすることはなかった。そのあと私は東京の病院に出張したが、しばらく経ってから、出水でとれた海産物がたくさん送られてきた。うれしさと悔恨の気持ちで、受け取ったことを覚えている。
         今から考えると、医療事故とでも言える出来事だったが、誠実に一所懸命に患者さんと向き合ったことで、心のつながりができて、許してもらえたものだと感謝している。
         さて私と看護の世界とのつながりについて振り返ると、幸いにも多くの有能で魅力的な看護師に出会うことができた。東京の都立府中病院では、後に厚生省の看護課長となられた矢野さんからは、看護のあるべき理想の姿を学ぶことができた。また南九州病院の筋ジストロフィー病棟では稲元師長さんから、実践的な看護のすごさを身をもって知ることができた。便の出ない患者さんに馬乗りになって奮闘している姿を見て、とても自分には真似のできないことだと観念した。
         そして今、当院の多くの看護師が自らの理想とする看護に向かって、日々懸命に頑張っている姿を目にすることができる。うれしいことに、その大半の看護師は、この看護学校の卒業生であるということである。
         最近、死語となりつつある言葉に、「一生懸命」という言葉がある。
         私は何事にも一生懸命であることが、人間としての本質であり、日本人の最も大切な美徳ではなかったかと考えている。頑張ってもできないこともある。でも、周りの人は一所懸命に頑張っている姿に感動し、救いの手を差しのべたいと思うものである。
         最期に、近い将来、君たちと一緒に仕事ができる日が来ることを、期待を膨らませながら待っていたい。