順応(中)(2017/03/08)
さて私は人生の中で、住む場所を含む生活環境の大きな変化は、次の四つの出来事ではなかっただろうか。それぞれ順応に多少の苦労はあったかと思うが、人の思い出というものは時が過ぎてしまうと楽しい思い出になることが多い。その時々は、恐らく眠れないような不安にさいなまされたこともあっただろうが、今となっては辛さより楽しさの部分の記憶がより多く残っている。
まず一つ目は、小学校5年の時に鹿児島市に転校したときである。学校の教師だった父親が、兄の高校への進学に合わせて鹿児島市への異動を申し出たようである。教頭だったので、次は田舎の学校へ転勤して校長を打診されたようだが、それを断って鹿児島市内の城南小学校へ教員として転勤になった。今思えば「降格」処分だったようで、父親にとっては大きな決断だったかと思う。そのまま田舎暮らしを続けることが悪いわけではないが、ただ子供たちにとっては幸いしたものと感謝している。私の人生も大きく変わったのかも知れない。
昭和33年に頴娃町の松原小学校から鹿児島市の原良小学校に転校した。現在の松原小学校は過疎化が進み全校生徒はわずか16人ということだったが、私の頃は団塊の世代でもあり一クラス30人前後の生徒数ではなかっただろうか。一方、転校した原良小学校は前年、西田小学校から分離したばかりの5クラスで、私は5年4組に転入した。言葉もエイゴ(頴娃語)だったので、多少の苦労もあったかと思うが特にいじめられたような記憶はない。学校全体で標準語教育に取り組んでいたのか、方言を使うと胸の前にぶら下げたカードに、「正」の字を書くことになっていた。
中学、高校、大学は自宅からの通学で型通りに進んで、医学部を卒業した。その頃の初期研修医制度はインターン制度なるものに代わって、一年間非入局で、いくつかの病院や医局を回りながら研修するという制度に替った。私は鹿児島大学病院で、一内科と二外科で3か月ほど研修した後、宮崎県立病院の小児科で5か月間、研修することになった。当時県立病院の小児科部長は梶原先生で、オーベンは池田先生(現鹿児島県医師会長)だった。生まれてはじめて親元を離れて生活することになり、たくさんの楽しい思い出を作ることができた。当時、買ったばかりのサニーの中古車で、10号線を何度も往復したものである(まだ高速道路はなかった)。
小児科の夜間救急も経験したが、イレウスの修復も何度か行った。子供は熱があっても元気があればさほど問題はなく、むしろ下痢による脱水症状には気を付けなければならないことなどを学んだ。未熟児室にも3か月ほど勤務したので、指先の感覚だけで血管確保ができることに快感を覚えたものである。
まず一つ目は、小学校5年の時に鹿児島市に転校したときである。学校の教師だった父親が、兄の高校への進学に合わせて鹿児島市への異動を申し出たようである。教頭だったので、次は田舎の学校へ転勤して校長を打診されたようだが、それを断って鹿児島市内の城南小学校へ教員として転勤になった。今思えば「降格」処分だったようで、父親にとっては大きな決断だったかと思う。そのまま田舎暮らしを続けることが悪いわけではないが、ただ子供たちにとっては幸いしたものと感謝している。私の人生も大きく変わったのかも知れない。
昭和33年に頴娃町の松原小学校から鹿児島市の原良小学校に転校した。現在の松原小学校は過疎化が進み全校生徒はわずか16人ということだったが、私の頃は団塊の世代でもあり一クラス30人前後の生徒数ではなかっただろうか。一方、転校した原良小学校は前年、西田小学校から分離したばかりの5クラスで、私は5年4組に転入した。言葉もエイゴ(頴娃語)だったので、多少の苦労もあったかと思うが特にいじめられたような記憶はない。学校全体で標準語教育に取り組んでいたのか、方言を使うと胸の前にぶら下げたカードに、「正」の字を書くことになっていた。
中学、高校、大学は自宅からの通学で型通りに進んで、医学部を卒業した。その頃の初期研修医制度はインターン制度なるものに代わって、一年間非入局で、いくつかの病院や医局を回りながら研修するという制度に替った。私は鹿児島大学病院で、一内科と二外科で3か月ほど研修した後、宮崎県立病院の小児科で5か月間、研修することになった。当時県立病院の小児科部長は梶原先生で、オーベンは池田先生(現鹿児島県医師会長)だった。生まれてはじめて親元を離れて生活することになり、たくさんの楽しい思い出を作ることができた。当時、買ったばかりのサニーの中古車で、10号線を何度も往復したものである(まだ高速道路はなかった)。
小児科の夜間救急も経験したが、イレウスの修復も何度か行った。子供は熱があっても元気があればさほど問題はなく、むしろ下痢による脱水症状には気を付けなければならないことなどを学んだ。未熟児室にも3か月ほど勤務したので、指先の感覚だけで血管確保ができることに快感を覚えたものである。
