Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「よいしょ・あいた・よいしょ」(2017/04/11) 

「よいしょ・あいた・よいしょ」という、この一見ちぐはぐで意味不明な言葉が最近私の口からよく出てくる。立ち上がったりするときに、まず「よいしょ」という言葉が出て、そのまま「あいた・よいしょ」と続いてしまうのである。一種の「掛け声」に始まって、後は惰性のようなものだろうか。身体的な「疲れ」よりも、精神的に疲れたような時に思わず出てくるようである。
       先日、遊びに来ていた孫の芽生ちゃんからも、「よいしょ・・・」と真似されて、からかわれる始末である。強いて意味を求めるとすれば「ああーあ、疲れたけど頑張らなくちゃ」というような意味になるのだろうか。
       五木寛之の「私を支えてくれた言葉」の一節に「ため息とともに生きる」という項がある。
       ・・・父親の生活は、本人にしてみれば、それなりに充実したものであったはずです。にもかかわらず、毎日「アーア」と深いため息をつきました。そのため息の奥にあったものは何だったのだろうかということが、私が長い間抱きつづけてきたひとつの謎でした。
       ため息は人生に対してうしろ向きの弱々しい行為であるかのような感じがしますけれども、ひょっとするとそのため息によって父親は、癒されている部分があったのではないかと考えることがしばしばあります。
       人間はどんなときにため息をつくかといえば、言葉にできないような重いものを背中に感じているときではないでしょうか。一般には、ため息なんて女々しいことで、うしろむきのマイナス思考だ、と思われています。しかし、じつは人間が力強く生きていくうえで非常に大事なものではないか、と最近私は考えるようになってきたのです。・・・
 五木氏はため息を「人間が力強く生きていくうえで非常に大事なもの」と捉えているが、私の「よいしょ・・・」も「さあ、頑張るぞ」という気持ちも含まれているかもしれないと思うことにした。ただできるだけ人前では発することのないようにと思っているのだが。