遅れていたサクラの開花(後)(2017/04/10)
やきもきしていた桜がやっと開花した。一部では鹿児島は亜熱帯化した気候になり、冬場に低温の時期が数日か数週間ないと花芽の形成がおかしくなるということで、開花しないのではないかと恐れられていた。昨日は車の中から五分咲きの桜を見て回った。
ところでこの季節になると毎年「サクラ」について書いてきた。ネットで検索すると、南九州病院時代のものに「サクラにまつわること」という一稿がある。その時の患者さんのことが思い出されが、ご家族はどのようにしておられるだろうか。再録させていただく。
「サクラにまつわること」
いつものように朝6時前に病院に着くと、玄関前で二日続いて神経内科病棟に入院中の患者さんの奥さんにお会いした。駐車してある小型車に急いで乗り込む後姿を見ながら、「きっと子どもたちを、学校に行かせるために帰るところだろう。家族が入院すると大変だな」とあらためて思うことだった。
その翌日、この男性が亡くなられたという報告を受けた。まだ50歳を過ぎたばかりで、数ヶ月入院していたが確定診断がつかないまま病状は日一日と悪くなりそのまま不帰の人となった。主治医のA先生のかねての診療態度のなせる業だと思うが、奥さんは不平や不満を漏らすこともなく病理解剖まで応じてくれた。晩婚だったのか、学校に通う二人の子どもと下の子どもはまだ5歳で、亡くなる直前までそのことを最も案じていたという。
解剖の時間に病棟で部屋の後片付けをされていた奥さんに出会ったが、涙をこらえながら気丈に振る舞われていた。慰めの言葉も思いつかないまま、「力及ばず申し訳ありませんでした。最後まで頑張られたご主人のお気持ちを考えますと、無念でなりません。ご主人はきっと、奥さんがしっかりと子どもさん方を育てる姿を見守ってくれると思います」と月並みな言葉を並べるだけだった。
近代外科学の父と呼ばれたアンブロワズ・パレは、私たち医療従事者の心がけるべき行動指針として、「ときどき治すことができる、しばしば和らげることができる、いつでも慰めることができる」という言葉を遺している。思いもよらない病気になり、理不尽としかいいようのない経過で惜しまれつつ亡くなられていく方々や遺された家族に、適切な慰めの言葉は見つからない。
私の好きな良寛の歌に、「ちるさくら のこるさくらも ちるさくら」というものがある。誰でも少しずつ老いて、死者に近づいていく心境がよく詠われている。人間は生まれたときから死への歩みを始めるわけで、永遠の生は誰にも許されていない。遅かれ早かれ、同じように死者の後を追うさだめにある。
先日、倫理委員会の後で、委員をお願いしている長倉伯博先生(浄土真宗のお坊さん)と話をする機会があった。また長倉先生にはご専門の立場から緩和ケアについてのアドバイスを頂いているが、一月ほど前に当院の緩和ケア棟で亡くなられた22歳の女性のことが話題になった。夫と子ども2人を遺して旅立たれたということだったが、鹿児島医療センターから転院されてきたという。診断から告知にかけて、医療センターでは難儀されたということだったが、当院に転院されてからはスタッフの適切な関わりで好ましい受容もなされて、穏やかなに亡くなられたと聞いていた。長倉先生も当院の次第に成熟しつつあるスピリチュアルな緩和ケアを高く評価して下さっていた。
またASAHI Medicalの4月号に、聖路加国際病院の細谷亮太先生の「小児科の春秋から見えてくること」というタイトルのインタビュー記事がある。細谷先生は小児がんの専門家であるが、この中で「誤解を恐れずに言えば、自分の子を”実験対象”にしても攻撃的な治療にチャレンジしたいという親御さんが増えている」という。「僕自身は、無理せずにこれくらいが潮時だろうというのを見極められるようになりました。アメリカではミラクルは何もしなくても起こる。何かしたらつらいことが起きるから、何もせずに待つ方がいいという医師もいるぐらいです」と語っている。
この課題、医師として自分自身に問いかけながら、そしてまたお互いに議論し合いながら、一方では医学の進歩と時代の経験を積み重ねながら、ある一定のコンセンサスが生まれていくものと思う。
ところでこの季節になると毎年「サクラ」について書いてきた。ネットで検索すると、南九州病院時代のものに「サクラにまつわること」という一稿がある。その時の患者さんのことが思い出されが、ご家族はどのようにしておられるだろうか。再録させていただく。
「サクラにまつわること」
いつものように朝6時前に病院に着くと、玄関前で二日続いて神経内科病棟に入院中の患者さんの奥さんにお会いした。駐車してある小型車に急いで乗り込む後姿を見ながら、「きっと子どもたちを、学校に行かせるために帰るところだろう。家族が入院すると大変だな」とあらためて思うことだった。
その翌日、この男性が亡くなられたという報告を受けた。まだ50歳を過ぎたばかりで、数ヶ月入院していたが確定診断がつかないまま病状は日一日と悪くなりそのまま不帰の人となった。主治医のA先生のかねての診療態度のなせる業だと思うが、奥さんは不平や不満を漏らすこともなく病理解剖まで応じてくれた。晩婚だったのか、学校に通う二人の子どもと下の子どもはまだ5歳で、亡くなる直前までそのことを最も案じていたという。
解剖の時間に病棟で部屋の後片付けをされていた奥さんに出会ったが、涙をこらえながら気丈に振る舞われていた。慰めの言葉も思いつかないまま、「力及ばず申し訳ありませんでした。最後まで頑張られたご主人のお気持ちを考えますと、無念でなりません。ご主人はきっと、奥さんがしっかりと子どもさん方を育てる姿を見守ってくれると思います」と月並みな言葉を並べるだけだった。
近代外科学の父と呼ばれたアンブロワズ・パレは、私たち医療従事者の心がけるべき行動指針として、「ときどき治すことができる、しばしば和らげることができる、いつでも慰めることができる」という言葉を遺している。思いもよらない病気になり、理不尽としかいいようのない経過で惜しまれつつ亡くなられていく方々や遺された家族に、適切な慰めの言葉は見つからない。
私の好きな良寛の歌に、「ちるさくら のこるさくらも ちるさくら」というものがある。誰でも少しずつ老いて、死者に近づいていく心境がよく詠われている。人間は生まれたときから死への歩みを始めるわけで、永遠の生は誰にも許されていない。遅かれ早かれ、同じように死者の後を追うさだめにある。
先日、倫理委員会の後で、委員をお願いしている長倉伯博先生(浄土真宗のお坊さん)と話をする機会があった。また長倉先生にはご専門の立場から緩和ケアについてのアドバイスを頂いているが、一月ほど前に当院の緩和ケア棟で亡くなられた22歳の女性のことが話題になった。夫と子ども2人を遺して旅立たれたということだったが、鹿児島医療センターから転院されてきたという。診断から告知にかけて、医療センターでは難儀されたということだったが、当院に転院されてからはスタッフの適切な関わりで好ましい受容もなされて、穏やかなに亡くなられたと聞いていた。長倉先生も当院の次第に成熟しつつあるスピリチュアルな緩和ケアを高く評価して下さっていた。
またASAHI Medicalの4月号に、聖路加国際病院の細谷亮太先生の「小児科の春秋から見えてくること」というタイトルのインタビュー記事がある。細谷先生は小児がんの専門家であるが、この中で「誤解を恐れずに言えば、自分の子を”実験対象”にしても攻撃的な治療にチャレンジしたいという親御さんが増えている」という。「僕自身は、無理せずにこれくらいが潮時だろうというのを見極められるようになりました。アメリカではミラクルは何もしなくても起こる。何かしたらつらいことが起きるから、何もせずに待つ方がいいという医師もいるぐらいです」と語っている。
この課題、医師として自分自身に問いかけながら、そしてまたお互いに議論し合いながら、一方では医学の進歩と時代の経験を積み重ねながら、ある一定のコンセンサスが生まれていくものと思う。
