新入職者研修会と事業計画発表会(前)(2017/04/05)
「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」は唐代の詩人の作で、「毎年毎年、人はこの世を去って行くために顔ぶれが異なる。人の世の無常である」ことを表現しているが、私は単純に人の世の移り変わりを詠っていることとして使っている。
この季節になると企業や病院では、新入職式やさまざまな研修が計画されることとなる。今年度は4月1日が土曜日となったので、南風病院では午前中が辞令交付式(入職式)、そして午後から県民交流センターに場所を移して、「29年度事業計画発表会」を行うこととなった。
この朝、いつものように4時に起床後、珍しく朝ぶろに入った。習慣を頑なに護ってきた私には、異例の朝となった。年度末に送別会などが重なって風呂に入る時間がなかったのでたまたま朝ぶろとなった訳だが、年度末の病院の決算状況などを分析しているうちに自分の心の中で「弱気の虫」がはびこってしまっていることに気づいた。これらの溜まった澱を少しは洗い流したいという気持ちもあっての朝ぶろだったのかも知れない。俗にいう所の「change」である。
5時半過ぎの病院に着いてパソコンを開くと、厚労省の課長補佐からメールが届いていた。
厚生科学審議会疾病対策部会 福永部会長様
厚生労働省健康局難病対策課の○○です。
臓器移植委員会の委員につき、〇〇委員が渡米したことに伴う辞任の手続きがあり、後任者を部会長に指名頂く必要があります。移植医療対策推進室といたしましては、〇〇先生が適任ではないかと考えており臓器移植委員会委員指名の可否につき、ご相談申し上げます。・・・
双方の先生とも世界的にも高名な先生方であり、私ごときが判断することにははばかりを感じるが、臓器移植委員会も疾病対策部会の一つの委員会であり、職責としての規定であるので致し方ない。「そのように手続きを進めてください」と返事しながら、このような立場にあることをありがたく思うことだった。
9時から20人の新入職者一人一人に理事長から辞令交付があり、そのあと理事長と私が挨拶し、新職員を代表して薬剤部の女性が、医療の世界に飛び込んでくるまでの決意を述べ、立派な宣誓を行った。
10時過ぎから一時間ほど「講話」をしたが、今年は人数が例年に比較して少なかったためか、熱心に聞いてくれていた。「講義」でも「講演」でもないので、少々気が楽になる。五代友厚は江戸時代末期、薩摩留学生15人の若者を率いて英国に旅立ったが、「人材育成の」大事さから始まって、最後に「人生、一生懸命努力する」ことの大切さを強調する。その五代の生誕地が、わが病院から片道15分で行けることも。南風病院のある上町地区は島津藩の伝統を受け継ぐ誇り高い地区なのだと再認識することだった。
この季節になると企業や病院では、新入職式やさまざまな研修が計画されることとなる。今年度は4月1日が土曜日となったので、南風病院では午前中が辞令交付式(入職式)、そして午後から県民交流センターに場所を移して、「29年度事業計画発表会」を行うこととなった。
この朝、いつものように4時に起床後、珍しく朝ぶろに入った。習慣を頑なに護ってきた私には、異例の朝となった。年度末に送別会などが重なって風呂に入る時間がなかったのでたまたま朝ぶろとなった訳だが、年度末の病院の決算状況などを分析しているうちに自分の心の中で「弱気の虫」がはびこってしまっていることに気づいた。これらの溜まった澱を少しは洗い流したいという気持ちもあっての朝ぶろだったのかも知れない。俗にいう所の「change」である。
5時半過ぎの病院に着いてパソコンを開くと、厚労省の課長補佐からメールが届いていた。
厚生科学審議会疾病対策部会 福永部会長様
厚生労働省健康局難病対策課の○○です。
臓器移植委員会の委員につき、〇〇委員が渡米したことに伴う辞任の手続きがあり、後任者を部会長に指名頂く必要があります。移植医療対策推進室といたしましては、〇〇先生が適任ではないかと考えており臓器移植委員会委員指名の可否につき、ご相談申し上げます。・・・
双方の先生とも世界的にも高名な先生方であり、私ごときが判断することにははばかりを感じるが、臓器移植委員会も疾病対策部会の一つの委員会であり、職責としての規定であるので致し方ない。「そのように手続きを進めてください」と返事しながら、このような立場にあることをありがたく思うことだった。
9時から20人の新入職者一人一人に理事長から辞令交付があり、そのあと理事長と私が挨拶し、新職員を代表して薬剤部の女性が、医療の世界に飛び込んでくるまでの決意を述べ、立派な宣誓を行った。
10時過ぎから一時間ほど「講話」をしたが、今年は人数が例年に比較して少なかったためか、熱心に聞いてくれていた。「講義」でも「講演」でもないので、少々気が楽になる。五代友厚は江戸時代末期、薩摩留学生15人の若者を率いて英国に旅立ったが、「人材育成の」大事さから始まって、最後に「人生、一生懸命努力する」ことの大切さを強調する。その五代の生誕地が、わが病院から片道15分で行けることも。南風病院のある上町地区は島津藩の伝統を受け継ぐ誇り高い地区なのだと再認識することだった。
