Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

壱岐旅行(4)(2017/05/15) 

さて一支国博物館は小高い山の頂上にあり、四方八方に視界が開けている。建物の内部には国指定特別史跡「原の辻遺跡」を展示の一部として取り入れたビューシアター、復元された古代船、市民の顔をモデルに160体の人形で一支国の生活を再現した一支国トピックなどが展示されている。この建物はあの有名な建築家である黒川紀章によるもので、またロビーには孫文の辛亥革命を経済的に支援した梅谷庄吉の妻トク(壱岐市の勝本浦の士族、香椎岩五郎の次女)の胸像も置かれている。
         展望室からは原の辻遺跡や古代の交易船が出入りしていた海や、船着き場なども見ることができる。この原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落で、魏志倭人伝に記された「 一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡だという。倭人伝では倭に関する情報は2008文字で記されているが、壱岐〔一大(支)国〕に関する情報は57文字で、伊都国、対馬国に次いで3番目に多い文字数だという。2000年近く前の人々の暮らしの様子を眼下に想像できるわけでワクワクしてくる。この地は小さな島にもかかわらず回りを山脈(やまなみ)で囲まれているので、海からはこれほどの平野が広がり、平和で豊かな耕作が営まれているとは気づかれずに済んだのだろう。安全性がたんぽされていたのだろう。この日は子どもの日だということもあり、三国志の人形劇なども催されていた。
         11時半過ぎに会場を出て、昼食は当初肉料理の「うめしま」を予約していたが、前夜の壱岐牛で少々食傷気味になっており、「うにめし食堂はらほげ」に変更した。この変わった名前の由来は、八幡半島の「はらほげ地蔵」の名に因んでいるという。パンフレットには「地元海女、漁師さんが玄界灘で採取された新鮮魚貝類をお客様のお口へ真心を持ってお運びするお手伝いの店」と書かれている。大広間の座敷に案内され、私は「はらほげ定食1,750円(名物うにめし、さざえつぼ焼き、刺身盛り合わせ、あさり汁、小鉢)」を注文したが、期待していただけにそれほどでもなかった。
         この時、私たちの隣の座席で「小さな事件」が起きた。テーブルには自分でも注げるようにお湯の入ったポットと急須が置かれていた。店の若い男性がサービスで、ポットから急須にお湯を注ごうとしたとき、お湯がこぼれて若い女性の肘のあたりに被ってしまった。量的にはさほど多い量ではなかったが、熱湯なので袖をまくると少し赤くなっていた。平謝りに謝っていたが納得が得られないようで、しばらくして店の店長らしき人が来られて、「お医者さんに診てもらう費用」として一万円を手渡たそうとした。私から見れば「大した火傷(単に少し赤くなっているだけ)でもないので受け取らないだろう」と思ったが、この女性は当然のように受け取っていた。観光客だろうが、このようなご時世なんだなあと複雑な気持ちになった。
         食事がすんで、芦辺港に向かって、港でレンタカーを返却、14時過ぎのヴィーナスで博多港に向かったが、揺れもせず、15時過ぎには着岸することができた。婿の吉岡君はここで別れて山口に帰ることになり、娘と子供たち、そして私たちは今夜の宿の「ザ・レジデンシャルスイート・福岡」に向かった。父親との別れ際に、芽生ちゃんが大声で泣き出していた。
         (欄外:13日のアドバンスコース研修会での昼食の時のこと、講師のお二人、古美術にも造詣の深い長尾先生が「松永さんは古美術の世界で名前を知っていました」と。また北野弁護士は東大の法学部を卒業後に中部電力に務めていたことがあったということだが、「松永さんは電力の鬼として知っておりました」と。どこかでつながるものである)。