評伝「井形昭弘先生」(2017/05/02)
昨日(5月1日)、頼んでいた評伝「井形昭弘先生」の別刷りを斯文堂からやっと受け取った。
鹿児島大学医学科同窓会の会長である高松先生から「鶴陵会會報」に、井形先生の追悼文を頼まれたのは昨年の秋ごろのことである。出版社に送るときに、タイトルを勝手に「井形評伝」と変えてしまった。辞書を開くと評伝とは「ある人物について評価を加えつつ書かれた伝記」とある。今回、限られた枚数の中で生まれてから亡くなるまでの伝記を書くことは難しく、井形先生の一生の中で私と関わった時代の一部を書かせてもらったことになる。ちょっと大上段に振りかざしたようなタイトルになってしまった。机の前に置かれたにこやかな表情の井形先生からは、「難しく考えなくてもいい」と赦してもらえるだろうと、こちらも勝手に解釈することにした。ところが・・・一番先に読んでもらいたかった先生は今はこの世におられない。
早いだけが取り柄の私であるので、頼まれてすぐ書き上げて、締め切り前の昨年11月には原稿を斯文堂に送った。その後、年が明けて今年の1月22日に「偲ぶ会」が開催され、同時に発刊された「追悼文集」を読みながら、「評伝」にいくつかのことを追加したいと思ったが、これも後の祭りである。
井形先生が亡くなられたことは、いまだに信じられない。壁にぶつかるたびに、いつも適切な助言を頂いていた。心の大きな支えだった。
この「井形評伝」、重複する部分もあると思うが、お時間のある時にでも読んでいただけると幸せである。
鹿児島大学医学科同窓会の会長である高松先生から「鶴陵会會報」に、井形先生の追悼文を頼まれたのは昨年の秋ごろのことである。出版社に送るときに、タイトルを勝手に「井形評伝」と変えてしまった。辞書を開くと評伝とは「ある人物について評価を加えつつ書かれた伝記」とある。今回、限られた枚数の中で生まれてから亡くなるまでの伝記を書くことは難しく、井形先生の一生の中で私と関わった時代の一部を書かせてもらったことになる。ちょっと大上段に振りかざしたようなタイトルになってしまった。机の前に置かれたにこやかな表情の井形先生からは、「難しく考えなくてもいい」と赦してもらえるだろうと、こちらも勝手に解釈することにした。ところが・・・一番先に読んでもらいたかった先生は今はこの世におられない。
早いだけが取り柄の私であるので、頼まれてすぐ書き上げて、締め切り前の昨年11月には原稿を斯文堂に送った。その後、年が明けて今年の1月22日に「偲ぶ会」が開催され、同時に発刊された「追悼文集」を読みながら、「評伝」にいくつかのことを追加したいと思ったが、これも後の祭りである。
井形先生が亡くなられたことは、いまだに信じられない。壁にぶつかるたびに、いつも適切な助言を頂いていた。心の大きな支えだった。
この「井形評伝」、重複する部分もあると思うが、お時間のある時にでも読んでいただけると幸せである。
