人間力(前)(2017/05/08)
年度初めのこの季節、新入職者のオリエンテーションや中間管理職研修などがあり、院長として話をする機会が多い。そこで過去の「発言」などをおさらいしていると、「人間力」に触れたものがあった。結局、最終的には人の価値は「人間力」なのだと思うことである。
南九州病院の院長の頃、毎月開催される機構本部での理事会には旧国立療養所から審議役として、川井先生(今年、SAHで急死された)と二人で参加していた。理事会は各ブロック(全国を6つのブロックに分けていた)の担当理事で構成されていたが、全て旧国立病院の院長だったので、慢性疾患の病院の代表としてバランスを取ったのである。そしてこの理事会の新年会やお別れの会(意見交換会)は、目黒の雅叙園で開催されたものである。雅叙園は「昭和の竜宮城」とも称されているらしいが、田舎者には最初に行った時には絢爛豪華な造りに、さすが東京だと圧倒されたものである。そういえば、3:11の大震災の時にも、理事会がこの場所で会議中だった。
国立病院機構の初代理事長の矢崎先生のお別れ会では、桐野新理事長の挨拶に引き続いて、ブロック担当理事と審議役が矢崎前理事長の思い出などを語った。
このとき私は「矢崎先生は国立病院機構ではセイフティネットの医療(重心や筋ジス医療)は大切であると強調され、今後も大きな柱として位置づけいかなければならないといわれました。とても嬉しく印象に残っています。先生のリーダーシップは私たちの目標ですが、一言でいうならば『人間力』ではないでしょうか」というような話をしたことを憶えている。
その後、矢崎理事長のお別れの挨拶は、いつものように静かに、平易な言葉でわかりやすいものだった。
まず私(矢崎理事長)は8年前に何の準備もなく機構の理事長に就任しましたが、以降ただ機構を財務的にも運営的にもしっかりした組織にするためにひたすら働いてきました。やったことといえば、その時々に生じた課題を、一つ一つ丁寧に解決するために努力してきたということです。幸い国立病院機構には、潜在的には優秀な人材が多く、これによく答えてくれました。私はただ普通のことをやってきただけです。
私は江戸っ子だからか知りませんが、理不尽なことには黙っておれない性分で、それをただすために厚労省や時には財務省の役人にもモノを申してきました。利益処分や公経済負担の問題もその一つです。そのためかどうも役人には、「扱いにくい理事長」と思われていたようです。
また病院は看護の力が非常に大きいと以前より感じていました。そこで医師の行なっていた医療行為を、一定の条件で病院内でできる高度で専門的な臨床能力を有する看護師の養成(特定看護師)を始めました。(現在、制度的な整備と運用が始められている。そういえば看護師の特定行為は、矢崎理事長の発案によるものである)。今後は国際医療福祉大学の顧問として、病院の経営や看護を含むメディカルスタッフの教育に力を注ぎたいと思います。
さて矢崎先生の挨拶の中の、「問題が生じたら、その問題を一つ一つ解決してきた」というくだりは、留学していたときのエンゲル先生の「Problem orientated」という考え方に通ずるものがある。何か新しいことを試みようとすると、様々な問題に直面する。そこでひるむことなく、問題の解決のために正面から立ち向かうことの重要性を指摘されていたように思う。
南九州病院の院長の頃、毎月開催される機構本部での理事会には旧国立療養所から審議役として、川井先生(今年、SAHで急死された)と二人で参加していた。理事会は各ブロック(全国を6つのブロックに分けていた)の担当理事で構成されていたが、全て旧国立病院の院長だったので、慢性疾患の病院の代表としてバランスを取ったのである。そしてこの理事会の新年会やお別れの会(意見交換会)は、目黒の雅叙園で開催されたものである。雅叙園は「昭和の竜宮城」とも称されているらしいが、田舎者には最初に行った時には絢爛豪華な造りに、さすが東京だと圧倒されたものである。そういえば、3:11の大震災の時にも、理事会がこの場所で会議中だった。
国立病院機構の初代理事長の矢崎先生のお別れ会では、桐野新理事長の挨拶に引き続いて、ブロック担当理事と審議役が矢崎前理事長の思い出などを語った。
このとき私は「矢崎先生は国立病院機構ではセイフティネットの医療(重心や筋ジス医療)は大切であると強調され、今後も大きな柱として位置づけいかなければならないといわれました。とても嬉しく印象に残っています。先生のリーダーシップは私たちの目標ですが、一言でいうならば『人間力』ではないでしょうか」というような話をしたことを憶えている。
その後、矢崎理事長のお別れの挨拶は、いつものように静かに、平易な言葉でわかりやすいものだった。
まず私(矢崎理事長)は8年前に何の準備もなく機構の理事長に就任しましたが、以降ただ機構を財務的にも運営的にもしっかりした組織にするためにひたすら働いてきました。やったことといえば、その時々に生じた課題を、一つ一つ丁寧に解決するために努力してきたということです。幸い国立病院機構には、潜在的には優秀な人材が多く、これによく答えてくれました。私はただ普通のことをやってきただけです。
私は江戸っ子だからか知りませんが、理不尽なことには黙っておれない性分で、それをただすために厚労省や時には財務省の役人にもモノを申してきました。利益処分や公経済負担の問題もその一つです。そのためかどうも役人には、「扱いにくい理事長」と思われていたようです。
また病院は看護の力が非常に大きいと以前より感じていました。そこで医師の行なっていた医療行為を、一定の条件で病院内でできる高度で専門的な臨床能力を有する看護師の養成(特定看護師)を始めました。(現在、制度的な整備と運用が始められている。そういえば看護師の特定行為は、矢崎理事長の発案によるものである)。今後は国際医療福祉大学の顧問として、病院の経営や看護を含むメディカルスタッフの教育に力を注ぎたいと思います。
さて矢崎先生の挨拶の中の、「問題が生じたら、その問題を一つ一つ解決してきた」というくだりは、留学していたときのエンゲル先生の「Problem orientated」という考え方に通ずるものがある。何か新しいことを試みようとすると、様々な問題に直面する。そこでひるむことなく、問題の解決のために正面から立ち向かうことの重要性を指摘されていたように思う。
