Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

相良先生(2017/06/23) 

相良先生から医業継承記念誌「吉翔Ⅳ」が送られてきた。先生には南風病院の応援団として、一方ならぬご支援を頂いてきた。私の寄稿文を下記に。
あっぱれな人生
        公益社団法人鹿児島共済会院長  福永秀敏
         「やまぶき」の花言葉は(すっきりした黄色の花びらから連想されるのかな)、「気品」とか「崇高」というものだそうである。何となく相良先生のお人柄や、これまでの医師としての生き方を彷彿させるものがある。
         昨年、先生から「やまぶき」(国家公務員共済組合連合会立川病院 昭和39年度インターン生50周年記念誌)という冊子を頂いた。その表紙に載せられていた「やまぶき」の花は、先生がこの表紙のために「早く咲いてくれないかな」との思いで、丹精込めて育てられた「やまぶき」の花なのである。
         1964年、青春のひとときを15人のインターン仲間と過ごされた立川病院の宿舎の名前が「山吹寮」というもので、その名前にちなんで「山吹会」という名称にしたそうである。この記念誌を作るにあたって3人のメンバーで構想し編集されたらしいが、先生はその主要メンバーとして記念誌作成のために率先して汗をかかれたのも「いかにも先生らしいことだ」と思いながら読ませてもらった。
         先生のこのような「For others」の精神は、若いころからのようである。
         2013年に城山観光ホテルで、30周年記念式典があり参加させてもらった。特別講演の講師は先生と中学、高校がご一緒の同窓生で、福迫さんという北海道大学の工学部長を経て札幌市の副市長などを歴任された人だった。懇親会で郷里が私の古里の頴娃町だということで盛り上がったが、「中学2年の3学期に鹿児島市の甲東中学に転校し、そこで先生と同級生になった。田舎からの転校で、当初成績の方は散々だったが、先生にいろいろ教えてもらった。そのお陰もあってか鶴丸高校に進学できたのだ」と笑いながら話されていた。
         2016年10月3日、相良先生が今後の病院経営に事業継承を委ねられるという川本研一郎先生を伴って病院に来て下さった。病院側も先生の南風病院に対するこれまでの数々の温情を強く感じていたので、貞方理事長、西俣名誉院長、末永副院長、鹿島顧問、そして私と、南風病院の幹部も総揃いでアネックス6階に参集した。席上、私は「先生は33年の長きにわたって理想的な開業の在り方を示され、地域医療に貢献され、私たち後輩にとってはあらまほしき人生の師であり、目標でした」と挨拶したが、これは偽らざる私の気持ちである。
         ところで、私と先生との接点は定かには記憶していない。30年ほど前に遡るかと思うのだが、南九州病院の筋ジス病棟に入院していたN君が退院して、在宅療養でのかかりつけ医として先生にお願いしたことがあった。外科医と聞いていたので「専門外で申し訳ないなあ」との思いもあったが、患者本人や家族の強い希望だった。確かその時に、先生に一度お会いしたら、「さもありなん」とすぐに分かったように覚えている。
         その後時は進んで、4年前に南風病院の院長となり、さまざまな会合でお付き合いは深まっていった。就任の挨拶で病院を訪問した時に案内してもらったが、随所に先生の哲学が感じられた。
         先生には患者さんの紹介・逆紹介はもちろんのこと、南風病院の応援団として病院が苦境に立たされた時にはいつも温かい言葉と支援をいただいた。今後もいつまでもお元気で、地域医療のためにも、また南風病院の将来にもご助言を。