Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

みゆき(10)(2017/06/14) 

その夜、事業所「てくてく」で仮通夜が営まれるということで、病院の仕事が終わったのち、18時30分ごろ雨の中、タクシーで出かけた。棺はロビーに安置されていたが、車椅子で来られる人にも顔がよく見えるようにと、低い高さに置かれていた。穏やかできれいな死化粧だった。
         「遺影にふさわしい写真を探したのですが、昨年末の忘年会で先生と撮った写真が一番よく撮れているということで・・・」と言われた。まゆみさんなど多くの友だちが別れを惜しんで駆けつけていた。そして異口同音に「いろんなことで、美由紀には助けられてきた」と語っていた。乳がんの闘病中、化学療法の副作用などできつかったと思うが、会の活動のために最期まで全国を飛び回っていた。
         27日は内之浦の実家で一晩過ごして、28日に高山町の葬儀場(天山会館)で通夜が、29日に本葬が行われるという。本葬には参加できないので、「あの世があるとしたら、散る桜 残る桜も 散る桜という気持ちです。お疲れさんでした」という弔電を送った。
         本通夜から帰ってきた里中さん(ALS協会鹿児島県支部長)から「きれいな花に囲まれて、先生と撮られた遺影もとてもよい写真でした。供花も50を超えていたのではないでしょうか。全国のCIL(自立生活センター)から届いていました」というメールを頂いた。
         5月1日の午後、ハートピアで岩崎さんと偶然に出会った。葬儀の様子を聞きながら、お互いの思い出話になったが、私の知らない美由紀がいたことも知ることができた。美由紀がリーダーとして運営していた「ぶどうの木」には50人を超えるヘルパーさんが働いていると聞いてびっくりした。その人たちを束ねていく苦労はいかほどかと想像できる。美由紀はリーダーとして「言わなければならないところでは厳しく指摘していた」という。「どうしてできないのですか」と詰問することもあり、離反しそうなスタッフもいたが、火葬場で骨拾いをしてくれた人たちの中には美由紀に怒られた人もいたという。
         また岩崎さんの話では「がんの告知を受けたのちも気丈にふるまっていました。あんなに薬嫌いだったのに、我慢して飲んでいました。でも本当は不安で、誰もいない所で涙を流した夜も多かったのではないかと思います」と語っていた。
         その岩崎さんが5月9日に、大腸の検査のために当院に入院していたので、病室に見舞いに伺った。「美由紀は三途の川を渡っているころかな」と言うと、「方向感覚がなかったから、案外迷っているかもしれませんよ」と。「まだ実感がわかないなあ」とお互いに話すことだった。
         冥福を心からお祈りしたい。